『大岡昇平 文学の軌跡』 川西政明著

レビュー

4
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大岡昇平

『大岡昇平』

著者
川西 政明 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784309025339
発売日
2016/12/19
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『大岡昇平 文学の軌跡』 川西政明著

[レビュアー] 納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

文学愛した人々の生涯

 評伝を書くとは一体何なのか? 昭和文学作家の評伝を数多く著した文芸批評家の遺作を読み、そんな問いが浮かぶ。評された作家は、いらぬお世話だ、と言うかもしれない。だが、本人が見ることのできないその人生と文学の全体を見てとるのは、亡き後に残った者だけである。生誕の日付と場所で始め、「最後は戦後文学の巨匠大岡昇平として誇りをもって死んだ」と結ぶ本書は、一人の傑出した文学者の人生を現出させる。大岡自身も、富永太郎と中原中也という青春の先達二人の評伝に心血を注いだ。死んだ人の一生を書くことで生きる文学の伝統がそこにある。

 波乱の多い大岡の生涯は六章の限られた視点で、所々ルーペを覗(のぞ)くように詳述される。叙述の多くは大岡本人の行動や心理よりも、彼と交わった人々、同時代を生きた仲間に費やされる。大岡の文学が何だったのかは、時と場所、何より人肌の臭いから浮かび上がるのであろう。戦場に行った大岡と行かなかった者、米兵を撃たなかった大岡と殺した男、運命のちょっとした違いが作家の人間を形作り、文学そのものに結晶していく。

 大岡の人生では女性が鍵を握る。母つるが芸妓(げいぎ)だったと知った少年期の衝撃から始まり、中原中也と小林秀雄に関わった長谷川泰子、そして大岡自身の愛人となる坂本睦子。だが、自殺した坂本をモデルにした小説『花影』に、高見順は厳しい批判をぶつける。心の修羅場を描き切れない小説を書くべきではない。そして大岡は代表作『レイテ戦記』を書く。史実を極めること、日本の近代の歴史を書き切ること。彼はこうして戦後の日本が誇る小説家となった。作家は成長して文学の軌跡を描き、歴史を作り出す。

 日本近代文学の全体に向き合った川西政明は、敬愛する評伝作家大岡昇平の評伝を書くことで、自らの仕事を締めくくった。文学をこよなく愛した人々の生涯がここにある。

 ◇かわにし・まさあき=1941~2016年。文芸評論家。著書に『武田泰淳伝』『吉村昭』『新・日本文壇史』など。

 河出書房新社 1800円

読売新聞
2017年1月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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