政策で妥協しても選挙で妥協せず

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政策で妥協しても選挙で妥協せず

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 公明党がそれまで対立し、執拗な攻撃と嫌がらせから「悪夢のような日々」と振り返る当の相手、自民党と急きょ連立を組んだのが一九九九年(自自公政権)。以来、この連携は途中の野党時代を含め、現在まで途切れることがない。

 公明党は六四年の結党時から、「福祉と平和」「大衆とともに」をかかげてきたはずだ。なのに自民党と結んでからは、イラク特措法(自衛隊派遣)、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更、消費増税など、多くの政策で自民党の補完勢力に甘んじるばかり。かつての旗は色褪せるままと見る国民は少なくない。公明党の母体、創価学会の選挙実働部隊たる婦人部でもそうした見方は強い。

 もちろん、公明党が側にいるから自民党の暴走もあの程度で収まっているとの見方もある。実際のところはどうか。本書では主として連立以来、二十年弱の公明党の動きを克明に追い、そのように駆り立てる原動力を見定めようとする。母体である創価学会の動向にも触れるが、政治ジャーナリストの著者は、信仰や宗教の本質を問ういわゆる学会問題や指導者論には禁欲的である。

 あらかじめいってしまうなら、著者は原動力を「選挙」と見定めている。今や別れ難くなった自民党、もともと分かち難かった創価学会との関係も、接着剤は選挙だ。一昔前まで日本の(田舎の)選挙には、群衆の統合、共通の目標、狂熱と饗応が不可欠で、お祭りの要素がそのまま揃っていた。創価学会がそこに着目し、活用を考えたのは当然だ。言論出版妨害事件で政教分離が厳しく問われ、「国立戒壇の建立」など唱えられなくなった折、選挙への奉仕がするりと宗教行為そのものに変質した。

 以来、衆議院の各選挙区で公明党票は最低でも一万五千から二万といわれる。この票数での当選は到底無理だが、比例区とのバーター材料としてならこれほど強力な数字はない。与党にいることで、かつて味わった池田名誉会長の国会喚問の揺さぶりなどを避けられるのも大きい。公明党は政策で妥協しても選挙で妥協することはない、とまで評される。

 しかし近年、みんなの党、日本維新の会といった右派中間政党の消長が激しく、連立の組み替えがいつ行われるか分からない。学会・公明党内部にも、消耗の激しい衆議院選挙区からの撤退論は根強い。池田以後になれば従来の路線が変わる可能性も小さくない。

 そんな中で面白い指摘が一つ。得票第一党に極端に有利な小選挙区比例代表並立制下で、第二党になった民主党(当時)は再起不能に近い大打撃を受けるが、自民党は第二党になってもほどなく再起する。もし公明党との連携のせいなら、公明党は日本政治の安定に一定の寄与をしたことになる。よかったか、否か。

新潮社 新潮45
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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