『しんせかい』 山下澄人著

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しんせかい

『しんせかい』

著者
山下 澄人 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103503613
発売日
2016/10/31
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『しんせかい』 山下澄人著

[レビュアー] 青山七恵(作家)

不定の視点からの眺め

 故郷から遠く離れた演劇塾を目指し船に乗った十九歳の「ぼく」=「スミト」。自然豊かな北の大地の【谷】にあるその塾で、塾生たちと共に馬の世話や農家の手伝いをしながら主宰の【先生】に演劇を学ぶ一年の出来事が、回想のようなかたちで語られていく。

 設定は著者の経歴に重なるが、読み始めればすぐにそこに描かれる風景の奇妙な手触りに気づく。手触りというよりむしろその逆で、見えているのに手を伸ばしても何にも触れえない感じというべきか、書かれている言葉から立ち現れる風景や人物たちは言葉を追うごとに奥へ奥へと逃れていき、ふいにきらめいたりまるごとくにゃっと曲がったり、何もかもがひとときたりとも定まらない。「ぼく」が語る十九歳の「スミト」の視点は空間的、時間的にも自在に変移する。暴走する馬の首に必死にしがみついていた自分を想(おも)い返していた彼は、次の瞬間には鳥の視点から【谷】を離れていく自分を俯瞰(ふかん)している。またあるときは、寝入る自分を見つめる誰かの視点から、誰も住む者がいなくなったいつかの【谷】の光景を見ている。山であろうと人であろうと常にフラットに対象を映し出すそのような視界に【先生】が現れるとき、風景はわずかにきゅっとひきしまる。

 しかしながら【谷】における一つの磁場のような存在である【先生】もまた、確かにそこにいるように思えるのに、どこか遠い。【先生】に限らず、同志たちも山も馬も確かにそこにいた、あった、という感じがするのに、そのすべてが頼りなく、掴(つか)みどころがない。でもその掴みどころのなさこそが、確かさや本当らしさよりもさらに生々しく、今ここにない何か、見えていない何かを読む者に強く想起させるのだ。そしてこの想起が生まれる瞬間に、私たちの存在のありかたが現実と摩擦し、不思議な喜びと痛みがあふれる。「しんせかい」の眺めが、その摩擦の火花の向こうに見える気がする。

 ◇やました・すみと=1966年生まれ。富良野塾二期生。96年から劇団主宰。本作で芥川賞。

 新潮社 1600円

読売新聞
2017年2月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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