知らず知らずのうちに間違っている可能性のある「語彙」3選

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知らず知らずのうちに間違っている可能性のある「語彙」3選

[レビュアー] 印南敦史

社会人としてふさわしい言葉づかいをすること。

語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』(山口謠司著、ワニブックス)の著者は、それこそがなによりも重要だと感じているのだそうです。どんなに能力があったとしても、思慮の浅そうな表現をしてしまえば、社会人としてのレベルを低く見積もられてしまうから。いわば仕事の力量以前に、言葉の理解力や語彙力によって、ある程度の評価が決まってしまうということです。

語彙力が欠けているというだけで評価を下げ、つまずいたり、軽く扱われてしまうのは大変もったいないことです。
だからこそ本書では、「できる人が物事を理解するために抑えている語彙」「社会人としての知性と教養を感じさせる語彙」を一気に身につけていただくことをテーマとしています。(「はじめに」より)

たとえば「『代替案(だいたいあん)』を考えます」というとき、「だいがえあんを考えます」といってしまったとしたら、知性を疑われてしまっても当然。また、相手の頭のよさををほめるときにも、「頭がいいですね」ではなく、「頭がいい」という言葉を「機知に富む」などの表現に置き換えたほうがより知的になり、評価が上がるわけです。

「社会人として、最低限知っておくべき知性と教養を感じさせる語彙」
「会議、プレゼン、交渉、打ち合わせなどをうまく進めている、伝え方や説明が上手い人が使っている語彙」
「理解力を高めるために抑えておくべき語彙」
「よく聞くけどしっかり意味がわかっている人が少ない語彙や、そもそも間違って覚えていることが多い語彙」
「心の状態をうまく表し、伝える語彙」
「同音異義語や、地位がある人や年配の人が使う語彙」
(「はじめに」より)

などを51種紹介しているという本書の第五章「そもそも間違っている可能性が高い語彙」のなかから、いくつかを引き出してみたいと思います。

的を射る

「的を射る」という本来の言い方を、「的を得る」と間違えている人は少なくありません。しかし、これは、ちょっと考えればわかることだと著者は記しています。

「的」は、弓道で使われるもの。そして、本来であれば的は「矢」で射るものであるはずです。なのに「得る」、すなわち「的」ごと手に入れてしまったのでは、矢を射ようにも射ることさえできなくなってしまうわけです。

ちなみに「的を射る」ときには当然ながら的の真ん中を狙うわけですが、矢が真ん中を射た状態を表したのが「中」という漢字。「中」を反時計回りにしてみると、矢が的の真ん中に当たって貫いて射ることがわかります。「中」という漢字に「あたる」という読み方があるのは、こうしたことによるというのです。

「中」は、「中庸」という言葉で説明される徳目。漢文では「過不足ないこと」が「中庸」であるとされますが、「過ぎてもダメ、足りなくてもダメ、すべてにおいてちょうどいい状態」を表すのだそうです。これは、もっとも難しいこと。

「的を射る」を、別の言葉で言えば「中庸」と言えるでしょう。「的確に要点を捉える」というのがこの言葉の意味ですが、「的確」であるためには、的の中心を射るように、狙いを定める必要があります。
そして、そのためには心を落ち着けなければなりません。
(119ページより)

心を落ち着け、いま使おうとしている言葉も、一度「これで正しいのかな」と考えると、「的を得る」という間違った言葉も使わなくてすむようになるかもしれないと著者はいいます。(116ページより)

言葉を濁す

「言葉を濁す」については、最近では、こういう表現を使うよりも「ごまかした」というような言い方をされることのほうが多いと著者は指摘しています。しかし「ごまかす」は表現としても幼稚であり、いい言葉だとはいえないはず。ちなみに「ごまかす」を「誤魔化す」と書くことがありますが、これは当て字で、「ごまかす」は倭言葉のひとつなのだとか。

さて、「言葉を濁す」ですが、これは、都合が悪いことを「あいまいにいう」あるいは「はっきりいわない」ということを意味するもの。ところがおもしろいことに、明治時代以前の語彙には、こういう表現がひとつもないのだといいます。古代の日本人は、こういう場合「言葉を濁す」よりも、黙って口を閉じてしまっていたのでしょうか。

「言葉を濁す」という言葉は、別な言い方をすると言葉を「ぼやかしてしまう」ということになります。
はっきりきれいに発音すべき事柄を”もごもご、まごまご”と口の中で言葉を呑みこむような言い方をしてしまう。それで、いつのまにか「口を濁す」というような表現が使われるようになったのです。
(122ページより)

2005年に行われた文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、「口を濁す」という表現を使う人は27.6%、「言葉を濁す」という人が66.9%、「どちらも使う」が3.1%、「どちらが正しいかどちらが間違っているかわからない」という人が2.4%という結果が出たのだそうです。ただ、調査から10年が経過したいま、「口を濁す」を使っている人が増えているような気がすると著者はいいます。しかし、正しくは「言葉を濁す」だと知っておいて損はないはずです。(120ページより)

溜飲を下げる

ご存知のとおり、「溜飲を下げる」とは、「胸をスッキリさせる」「不平・不満を解消して気を晴らす」という意味の言葉。なお「溜飲」とは、本来は「胃の消化作用が不調となり、酸性のおくび(げっぷ)が出ること」をいうのだそうです。「酸性のおくび」といわれても、いまひとつピンときませんが。

「溜飲」という言葉は、江戸時代の中ごろ、1800年ごろから流行りはじめたといいますが、わかるようなわからないような、なんとなくかっこいい雰囲気の言葉として使われていたのだそうです。そして「酸性のおくび」である「溜飲」は、「胃が痛くなってしまいそうな心配事、不平、不満、恨み」を表すのだとか。現代の言葉でいえば、「神経性胃炎」がもっとも適当だろうと著者。

たとえば、テレビドラマなどで、憎らしい悪い奴がとうとう尻尾を出して、みんなから顰蹙(ひんしゅく)を買い、警察に捕まる、というような場面を想像してみてください。
清々した気持ちになったときに、「溜飲が下がった」というような使い方をします。
(129ページより)

ただし「清々する」という言葉は、「気が晴れた」といういいかたも可能だといいます。

悪い奴がいることで、話が暗い方向に進んでいる。しかし、その悪い奴が警察に捕まって悪事がすべて暴かれる。まるで、先ほどまで垂れ込めていた暗雲が晴れ、青空が広がるような気がしてくる──。

そんなとき、本来なら「溜飲という、げっぷを出す嫌な胃酸が胃のなかに降りていって治ってくれる」という意味で「溜飲が下がる」と表現するわけです。ところが著者によれば1980年代から、「溜飲が晴れる」といういいかたをする人も出てきたというのです。

「溜飲が下がる」は、「溜飲が晴れる」と表現してしまいがちですが、正しく使わなくてはいけないと著者はここに記しています。(128ページより)

このように、とても実用的な内容。語彙については「なかなか人に聞けない」という部分もあるだけに、本書を活用してみてはいかがでしょうか?

(印南敦史)

メディアジーン lifehacker
2017年2月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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