『大鮃』 藤原新也著

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大鮃

『大鮃』

著者
藤原 新也 [著]
出版社
三五館
ISBN
9784883206827
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『大鮃』 藤原新也著

[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)

老いを肯定する姿

 この物語を最後まで読み終えたとき、主人公の青年が見た北の島や海の風景が、いくつも心に浮かんでは消えた。

 物語の舞台はスコットランドの北部、オークニー諸島。その地の出身である父と日本人の母を持つ主人公の名は太古という。オンラインゲーム依存症だったその青年はある日、幼い頃に亡くした父の故郷へ旅に出る。そして、そこでガイドを頼んだ老人との出会いによって、どこか淡い存在だった彼は目の前に広がる世界に対して心を開いていく。

 鉛のように厚い雲、その下で息吹(いぶ)く草花と濃い雨の匂い、荒々しい風や波。その一つひとつの研ぎ澄まされた描写に触れる度、ああ、いま自分は「藤原新也」を読んでいるのだ、としか言いようのない思いに駆られた。老人は古いモーリス(英国製の自動車)に青年を乗せ、島の遺跡を巡り、友人の船大工のもとを訪ねる。そうして語られるのは、様々な色合いに満ちた老いの形だ。彼らは自らの人生を振り返りながら、強さについて、また、弱さと向き合うことの意味について話す。多くの葛藤や確執、後悔があってなお、それでも老いを老いとして肯定していくその姿に感銘を受けた。

 物語の終盤、巨大な大鮃(おひょう)との激しい格闘の末に訪れる静寂のなか、夜空に浮かんで見えた月夜の虹の描写のなんと美しいことか。いずれ全てが遠い過去となってゆく記憶や出会い、風景がある。それらの全てがこの場所にたどり着くためにあったのだと思える日が、いつか自分にも来るだろうか――とふと思う。

 人生は四季に似て、「それぞれの季節にそれぞれの異なる世界が広がっている」と老人は語る。人生の四季に再び春は巡って来ない。「しかし死の扉の前に立つ老いの季節は絶望の季節ではありません。落葉もまた花と同じように美しいものです」。帯文にもあるそんな冒頭の言葉が、いまも胸の奥で静かに響き続けている。

 ◇ふじわら・しんや=1944年、福岡県生まれ。写真家、作家。主な著書に『東京漂流』『メメント・モリ』など。

 三五館 1600円

読売新聞
2017年2月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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