稀代の本屋 蔦屋重三郎 増田晶文 著
[レビュアー] 森彰英(ジャーナリスト)
◆写楽誕生に至る騒動
優れた時代小説はタイムマシンの役割を果たす。読者はたちまち安永二(一七七三)年の江戸に連れ去られ、寛政九(一七九七)年までを蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)という男と行動を共にする。異能の浮世絵師、戯作者などを育成し、吉原大門外の貸本屋が江戸を代表する出版業者「蔦重」に成長するまでの営業活動、天下の色里で遊興しながら世の中の潮目を掴(つか)む情報活動、彫師や摺師(すりし)を駆使する製造現場などが密着ドキュメントとして捉えられる。
圧巻は寛政の改革による弾圧に一矢を報いようとする蔦重と阿波藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛との出会いだ。彼を超先端的タレントとして売り出す作戦会議に顔をそろえたのは曲亭馬琴、山東京伝、勝川春朗のちの葛飾北斎、芝居小屋での取材を手引きする若者、重田幾五郎は後の十返舎一九といった面々だ。作業場ではこの絵師と蔦重が技法を超えた次元で大バトルを展開する。こうして東洲斎写楽は誕生したのだが、彼は二十八枚の大首絵だけを残して姿を消した。
ここまでドキドキしながら読んできていよいよ写楽の正体について極め付きの真説が現れたと思ったところで、小説だったと気づかせる仕組みはニクい。江戸時代の文芸や絵画についての多くの研究書に目を通しているらしいが、そんな跡を見せることなく、鮮やかに小説仕立てにした手際はまことに粋で洒落(しゃれ)ている。
(草思社・1944円)
<ますだ・まさふみ> 1960年生まれ。作家。著書『吉本興業の正体』など。
◆もう1冊
鈴木俊幸著『蔦屋重三郎』(平凡社ライブラリー)。蔦重はどんな出版物をつくり、どう売ったのか。その実像に迫る。