北欧ミステリの新潮流はここから始まった!! 半世紀を経てなお古典にならない傑作

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半世紀を経てなお古典にならない傑作

[レビュアー] 藤井太洋(小説家)

 冬、陽の光をありがたく感じるものを読みたくなって手に取った警察小説に思わず没入してしまった。マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーが一九六五年から年に一作ずつ発表し続けた〈マルティン・ベック〉シリーズだ。

 七〇年代にも高見浩氏の翻訳で紹介されていたが、二〇一三年から柳沢由実子氏がスウェーデン語から翻訳している新訳シリーズは既に三巻を数えている。

 まず手に取った『笑う警官』に打ちのめされた。

 筋書きはシンプルだ。舞台は一九六七年のストックホルム。アメリカ大使館を囲む群衆がヴェトナム戦争反対を叫ぶ街の裏側で、二階建てバスの乗客と乗務員、あわせて九名が機関銃の掃射で惨殺された。被害者の一人である警察官のステントルムは、拳銃を握ったまま殺されていた。彼が追っていた対象を知るために、主人公のマルティン・ベックたち捜査チームは、乗客の知人たちに聞き取り捜査を行っていく──これだけだ。複雑なトリックも、華やかな推理も、論理を超えた人間の愛憎もこの作品には登場しない。

 私を捕らえたのは街と社会の変わりゆく様だった。ストックホルムの街は本作で右側通行に変わった。大戦を経験した者は災厄が忘れられていくことに苛立ち、若者たちは一枚岩ではなくなった共産主義に戸惑っている。その悩みが半世紀後に生きる私を動かすのは、ベックの実直な視点と余計な装飾を排した文体のおかげだろう。

 現代的なのは語り口だけではない。EUどころか、ECすらない時代に登場人物たちは軽々と国境を越えて動き、移民や大勢の旅行者と共存している。そもそも二人の作者、シューヴァルとヴァールーは事実婚パートナーなのだ。

 未読の方には、シリーズ第一作の『ロセアンナ』から読むことを強くお勧めしたい。

 ベックたちは歳をとる。出世し、転勤し、そしてあるものは命を落とす。そして街も変わる。その変遷をとびとびに味わうのはもったいない。

KADOKAWA 本の旅人
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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