『おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校』上野瓏子著
[レビュアー] 産経新聞社
韓国や北朝鮮で今、「反日」を声高に叫んでいる多くは戦後生まれで、日本統治時代を経験していない人たちである。実際に体験したお年寄りに聞いてみると、こっそり「(日本時代は)なかなか良かったぞ。今じゃ大きな声では言えんがね」と打ち明けてくれることが少なくない。
もちろん異民族による支配だから強圧的な行為や差別がなかったとは言わない。だが、欧米諸国が少なからず被支配民族に満足に教育やインフラ(社会資本)を与えず、もっぱら資源や労働力をむしり取るのに熱心だったのに対し、日本は、朝鮮に限らず、当時の国力からすれば過剰な投資を行い、学校や病院を建て、産業を興し、生活を富ませた。日本人が「かなりがんばった」統治者だったこともまた事実なのである。
著者は、大正9(1920)年生まれの97歳。昭和14(1939)年から終戦まで、日本統治下の朝鮮で小学校の教員をしていた。習慣の違いに苦労しながらも熱心な指導で「(朝鮮人の)親が先生のことを大変信頼していますよ」と朝鮮人教師から伝えられたこと、朝鮮の児童たちや同僚と仲良く過ごしたこと、終戦後も「朝鮮へ残ったらどうか」と勧められた思い出が詳しくつづられている。
朝鮮に近代教育制度をつくったのは日本である。本書によれば、日韓併合前に約100校だった小学校は昭和18年には約4300校(官立・公立)に急増。著者の記憶では「(朝鮮人児童の)学費は安く設定されていた」という。日本は高等教育にも力を注ぎ、大正13年に創設された京城帝国大学は、大阪、名古屋の帝大よりも早い。大正期には、朝鮮人児童のために朝鮮語の唱歌までつくり、朝鮮の偉人や名勝をたたえた。こんな「お人よし」な統治者はいないだろう。
戦後、著者が韓国を再訪したとき、案内役の韓国人教育者は「日本のおかげで韓国に学校教育の土台ができ国を支える人材の育成も継続してゆくことができた」と感謝したという。日本時代の朝鮮で師範学校教員だった人だ。分かっている人は分かっている。(梓書院・1500円+税)
評・喜多由浩(文化部編集委員)