<東北の本棚>岩手の傑物互いを意識
[レビュアー] 河北新報
「平民宰相」と呼ばれた原敬と、世界的ベストセラー「武士道」で知られる新渡戸稲造。2人は、戊辰戦争に敗れて賊藩とされた盛岡藩の重臣の家に生まれた。ほぼ同時代を生きた2人だが、つながりは知られてこなかった。本書は、2人と親交のあった人物をたどり、「常にお互いを意識していた」との関係性を読み解いた。
明治新政府へつながる大きな転換点のうねりの中、反骨精神をバネにともに歴史に名を残した2人。足跡を知る好著だ。
原は新渡戸より6歳年上。幕末に生まれた。共に幼少期に父親を亡くし、原はフランス語、新渡戸は英語を学び、語学力を武器に人生を切り開いていく共通点がある。
「原敬日記」には膨大な人物が登場するが、実は新渡戸の名は2回しか出てこない。最後に登場したのは1914年。明治維新以来、開発の遅れが目立つ東北の振興について協議したとある。直接会う機会こそ少なかったが、2人とも盛岡藩出身という意識を生涯持ち続け、北海道帝大初代総長の佐藤昌介や初代南満州鉄道(満鉄)総裁となった後藤新平ら同郷人を介してつながっていたと、著者は推察する。
大正デモクラシー期の18年に原は内閣総理大臣に就任し、初の政党内閣を組閣。20年、新渡戸は国際連盟事務次長になった。デモクラシーを「平民道」と訳すなど、新渡戸は自ら提唱した平民道の実践者として原に注目していたと見られる。21年に原暗殺の知らせを聞いた新渡戸は「誰が彼に代わることができようぞ」と日記に記した。
著者は1958年生まれ。一関市在住。宮沢賢治研究者で東北史の著作多数。岩手大非常勤講師。
現代書館03(3221)1321=1836円。