[本の森 歴史・時代]『走狗』伊東潤

レビュー

5
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走狗

『走狗』

著者
伊東 潤 [著]
出版社
中央公論新社
ISBN
9784120049248
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『走狗』伊東潤

[レビュアー] 田口幹人(書店員)

 明治維新直後の激動期を、西郷隆盛と大久保利通を主人公に司馬遼太郎が描いた傑作『翔ぶが如く』(文春文庫)は、「西郷らの死体の上に大久保が折りかさなるように斃れたあと、川路もまたあとを追うように死に、薩摩における数百年のなにごとかが終熄した」という一節で終わりを迎える。『翔ぶが如く』には、西郷隆盛と大久保利通の他に混迷期を象徴した影の主人公がいた。それが川路利良警視庁大警視だった。

 伊東潤走狗』(中央公論新社)は、その川路利良の視点で明治維新と明治政府を描いた歴史小説だ。川路利良は、独特な身分制度のある薩摩藩において、下級武士の身分から立身出世を遂げ、初代警視庁長官として日本の警察の礎を築いた人物である。『翔ぶが如く』の他にも、山田風太郎著『警視庁草紙』(角川文庫)など、明治維新前後の俊傑の一人として多くの作品に登場してきた。著者は、デビュー10年の集大成として本書を通じ、私たちに賛否両論あるその川路利良の新たな人物像を示してくれた。

 歴史が大きく動くとき、人々の運命も変転する。何不自由なく暮らしていた者たちが零落し、その逆に、名もなき草奔の士として生涯を終えるはずだった者が台頭する。薩摩藩の外城士だった川路もその一人だ。

 戊辰戦争での功により西郷隆盛に引き立てられ、警察組織の創設を任せられた川路。西郷への報恩の心を持ちながらも、時流に乗り大久保利通の専制政治を支える存在として働く道を選択する。革命家の西郷隆盛と政治家の大久保利通という、あたらしい日本のかたちを創造した二人の薩摩人の狭間を狗として生きた実務家の川路は、徐々に権力という魔物に飲み込まれてゆく。川路の大義と正義は、少しずつかたちと姿を変える。本書は、国民を守るための警察権力がいつしか体制を守るためのものになってゆく過程を、川路が報恩の徒から忘恩の徒へと化してゆく様と見事に重ね合わせ描いていた。

 川路の、狗としてのプライドと苦悩が交錯しながら物語は進む。本書が描くラストの川路の死に様は、かつて司馬遼太郎が書き残した「薩摩における数百年のなにごとかが終熄した」という言葉に対する著者の出した答えなのかもしれない。

 容易なことではほぐすことができない絡まった運命の糸を、ひとつひとつほぐしていくことであぶりだした明治維新の光と影の物語。頁をめくる手を止めることができず、500頁を超える本書だが一気読みしてしまった。

新潮社 小説新潮
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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