『人生の踏絵』
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人生の踏絵 遠藤周作 著
[レビュアー] 加藤宗哉(作家)
◆罪業の傍らにイエス
難しい言いまわしが苦手、と遠藤周作はよく口にした。金メッキのように外国の人名や専門用語で彩った文章が嫌で、易しい表現に徹(てっ)したいと言った。なるほど、遠藤文学が<神と信仰>という問題を扱いながら多くの読者を掴(つか)んだのはそこにも原因があったのかと納得するが、本書を読むとさらにその念は深まる。
マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙」が話題の今だから『人生の踏絵』となったのだろうが、遠藤講演の活字化といえる本書は、一九七九年、五十六歳の折の「外国文学におけるキリスト教」(六回連続講演)が中心になっている。F・モーリヤック『テレーズ・デスケルウ』、G・グリーン『事件の核心』、J・グリーン『モイラ』などを材料に、神は人間の罪や業の領域に語りかけてくる、という主張が展開する。
そこに明かされるのは著者独特の聖書の読み方-イエスは無力で、人々を罰したり裁いたりせず、苦しむ人間の傍にただ居続けたという読み方である。それは宗教や文学というより、もはや人生の話なのだろう。聞き手は話の中に、いつのまにか遠藤流イエスの顔を見つめる。たとえば、「(踏絵の中の)踏まれて摩滅してへこんで非常に悲しそうで、われわれと同じように疲れている、みじめな顔です」という言葉に、実生活にはない人生の同伴者が覗(のぞ)くのである。
(新潮社・1512円)
<えんどう・しゅうさく> 1923~96年。作家。著書『海と毒薬』『深い河(ディープリバー)』など。
◆もう1冊
遠藤周作著『沈黙』(新潮文庫)。キリシタン禁制下の日本に潜入したポルトガル人司祭が神の存在を問う物語。