『私をくいとめて』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
脳内の親友『私をくいとめて』綿矢りさ
[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)
小説を読みながら久々に声を出して笑った。そして本を閉じる頃には、切なくも優しい気持ちになっていた。綿矢りさの『私をくいとめて』である。つくづく、不器用な人間の可笑しみを、非常に愛らしく書く人だと思う。
独身・会社勤めの黒田みつ子は32歳。結婚の予定も恋の予定もなく、友達も少ないと思われるが本人はいたってマイペース。休日にはおひとりさま行動を堪能している。寂しくないのは、自分の脳内にいる「A」と会話をしているからだ。ちょっとでも迷ったり悩んだりした時は、「A」が最適な解答を導きだしてくれる。なぜならもちろん、「A」はみつ子が作り出した架空の存在、つまり彼女の一部であり、本人が嫌がるような助言をするはずがないからである。
他人との交流がないわけではない。会社の取引先の営業マン、無口な多田青年が実はご近所さんで、たまに手料理を分けてもらいにやってくる。玄関先で帰るだけで進展しない二人の関係を面白がっているのは年上の同僚、ノゾミさんだ。そのノゾミさんは尋常ではないイケメン好きで、会社では誰もが相手にしていない顔しか取り柄のない駄目男の片桐、通称カーターへの片想いを楽しんでいる。ここに登場する人たちは、みなパーソナルスペースが広い。自分の世界に他人が土足で入ってくるのをよしとしないタイプ。それは人間嫌いというよりも、不器用で臆病だから。
一人に慣れたみつ子が他者を受け入れるのは容易ではない。その葛藤を抱いた上での終盤のみつ子と「A」の会話が、しみじみとよい。他者を拒絶する人だけでなく他者に過剰に何かを求める人にも贈りたくなる。この優しさ、このおおらかさは貴重だ。