『戦始末』
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生きざまと死にざまを問う、過酷な負け戦さ『戦始末』矢野隆
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
秀吉の出世を約束した“金ヶ崎の退(の)き口(くち)”など、負け戦さの際の最も過酷な戦い「殿(しんがり)軍」の中に、武門の生きざま、死にざまを問う、気鋭、白熱の短篇七作を収めた一巻である。
白熱といっても、武将たちの心理や生理も巧みに活写されている。
前述の“金ヶ崎の退き口”を描いた巻頭の一作、「禿鼠の股座」では、死にたくないと震えていた秀吉が、光秀の“真の主は己自身ぞ”ということばに開眼。滾(たぎ)り続ける股間に勇気百倍、見事、「殿軍」をつとめるさまが巧まざるユーモアの中に活写されている。
また高橋三河入道紹運(じよううん)が、立花家の当主となった息・統虎(むねとら)の援軍を断り、立花山城に孤立する「孤軍」は、自分がここで戦うことで息子の活路が開けるという、非情な戦国乱世にあって、父子の情愛が描かれている。
さらに、史上名高い、関ヶ原合戦における島津義弘の家康の陣中突破を描く「丸に十文字」もなかなかに面白い。
義弘は、はじめから、この戦さを
己が戦さではない。
それだけである。
他所人の戦さに賭ける命など持ち合わせていない。
とシニカルな視点から眺めており、ただ島津のため、丸に十文字の旗のためと定め、陣中突破を行う。
特に家康が、清浄なる浄土こそを求めていることを、義弘が甘いと断じ、衆はそれでも良いが、武士が戦場に求めるものは違う。本当の死兵とは、浄土すら求めない者のことだ。これを一個の槍と求め、自分の魂と引き換えに敵を討つ、と記したあたりは、作者、会心のくだりといっていいだろう。