生きざまと死にざまを問う、過酷な負け戦さ『戦始末』矢野隆

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

戦始末

『戦始末』

著者
矢野 隆 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784062203876
発売日
2017/01/25
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

生きざまと死にざまを問う、過酷な負け戦さ『戦始末』矢野隆

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 秀吉の出世を約束した“金ヶ崎の退(の)き口(くち)”など、負け戦さの際の最も過酷な戦い「殿(しんがり)軍」の中に、武門の生きざま、死にざまを問う、気鋭、白熱の短篇七作を収めた一巻である。

 白熱といっても、武将たちの心理や生理も巧みに活写されている。

 前述の“金ヶ崎の退き口”を描いた巻頭の一作、「禿鼠の股座」では、死にたくないと震えていた秀吉が、光秀の“真の主は己自身ぞ”ということばに開眼。滾(たぎ)り続ける股間に勇気百倍、見事、「殿軍」をつとめるさまが巧まざるユーモアの中に活写されている。

 また高橋三河入道紹運(じよううん)が、立花家の当主となった息・統虎(むねとら)の援軍を断り、立花山城に孤立する「孤軍」は、自分がここで戦うことで息子の活路が開けるという、非情な戦国乱世にあって、父子の情愛が描かれている。

 さらに、史上名高い、関ヶ原合戦における島津義弘の家康の陣中突破を描く「丸に十文字」もなかなかに面白い。

 義弘は、はじめから、この戦さを

   己が戦さではない。

   それだけである。

他所人の戦さに賭ける命など持ち合わせていない。

 とシニカルな視点から眺めており、ただ島津のため、丸に十文字の旗のためと定め、陣中突破を行う。

 特に家康が、清浄なる浄土こそを求めていることを、義弘が甘いと断じ、衆はそれでも良いが、武士が戦場に求めるものは違う。本当の死兵とは、浄土すら求めない者のことだ。これを一個の槍と求め、自分の魂と引き換えに敵を討つ、と記したあたりは、作者、会心のくだりといっていいだろう。

光文社 小説宝石
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク