『1年で話せた人が絶対やらない英語勉強法』
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「カタコトでも通じればOK」は自己満足? 英語勉強法についての大切なこと
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
英語の勉強で何度も「漂流」してしまうのは、英語に対する「間違った思い込み」が原因となっていることが少なくありません。
たとえば、英語の勉強法で漂流してきた人の多くは、次のように考えがちです。
「中学・高校と6年間も英語を勉強したのに、できるようにならなかったのは、そもそも学校英語が使えないからだ。だから、英語を話せるようになるには、別の新しいノウハウが必要だ」
(中略)「6年間」という学習期間には、じつは数字のマジックがあります。「6年間」といっても、実際に英語の授業は週に何時間かです。6年間の授業時間の合計は、だいたい900時間前後といわれています。
そもそも、「6年間も英語を勉強したのに、できるようにならなかった」という前提が、間違っていたのです。(「英語への思い込みを捨て、勉強法の『漂流』から抜け出そうーーはじめに」より)
こう主張するのは、『1年で話せた人が絶対やらない英語勉強法』(水野 稚著、日本実業出版社)の著者。そのため本書では、間違った前提にもとづく思い込みから抜け出し、自分に合う学習法を自分で判断できるようになるための考え方と、的を射た努力をして成果につながるためのノウハウをシェアしているというのです。
注目すべきは、本書の「やらない」というコンセプトが、英語の勉強法と非常に相性がよい点。英語の勉強法はさまざまですが、不確かな情報だけでなく、人によっては合う合わない、向き不向きによる部分が大きく、「やらないこと」を知ることによって、自分に最適で必要な勉強法が見えてくるという考え方です。
そんな本書のなかから、学校英語に焦点を当てたCHAPTER2「『学校英語』を無駄にしない」に注目してみたいと思います。
「学校英語」を否定しない
先にも触れたとおり、日本の学校の英語教育は「使える英語を教えない」と批判されがち。しかし、いわゆる学校英語、特に中学英語は体系的にもよくまとまっていて、(音声面で改善すべき点はあるものの)優れていると著者は反論しています。
学校英語に対する批判で特に多いのが、「読み書き中心で話せるようにならない」という意見。でも実際のところ日本の英語教育は、1980年代末からコミュニケーション重視に大きく舵を切っているのだそうです。ひと昔前とは違い、現在の教科書は会話重視なのだとか。
学校は、すべての科目における「基礎」を学ぶところ。そのため、英語に関しては、ある程度の「読む」「書く」「聞く」「話す」(4技能の基礎)以上のことは期待できないことも著者は認めています。しかし重要なのは、大人になってから英語をやりなおそうと思い立ったとき、なんとか取りつく島があること。学校で「基礎」を学んでいるから、それが力になってくれるということです。
従来の学校の英語教育に、音声教育が足りないことは事実。でも、だからといって日本の英語教育に意味がないわけではないという考え方。これまでの学校教育で培った基礎は、私たちにとっての財産なのだというわけです。
× NG 学校の英語教育は役に立たない
→日本語と英語は、言語的な距離があります。まったく異なる文字体系や音声体系を持つ英語をかぎられた時間のなかで、効率よく基礎となる部分を教えてきたのが日本の英語教育です。
○ OK 学校の英語教育を基礎として活かす
→単語や文法をはじめ、これまで学んできた学校英語は、英語をものにするための基礎となります。学校で足りないものは、これから学んで足していきましょう。
(57ページより)
学校英語についての考え方を、著者は上記のようにまとめています。(52ページより)
「とりあえず通じればいい」をゴールにしない
英語を身につけようというとき、「カタコトの英語でもいい」「発音が悪くてもいい」「文法が間違っていても通じればいい」と考える方もいるはず。たしかにそれも、ひとつの割り切り方ではあるでしょう。しかし見方を変えると、一方的なコミュニケーションになってしまう可能性があると著者はいいます。
英語で会話をするとき、とりあえず知っている単語を並べれば、どうにか意思を伝えることは可能。たとえば外国人と一緒にカラオケに行くことになったとき、「ユー ネクスト シング!」「ドリンク? ビア? オーケー、ワンビア? ツービア?」というようなカタコトの英語でも、最低限の意思の疎通をはかれるわけです。
ただし、一見うまくいっているように見えるものの、これはあくまでも相手の協力のもとに成り立っている会話。もし逆の立場だったとしたら、「こういうことかな?」と頻繁に推測をしなければならないということです。それでは、なにかをじっくり話し合う関係になることは難しそうです。
だからこそ、もし英語を使って相手に自分の考えを「伝える」ことを目指すのであれば、もう一歩踏み込んで「間違いは恐れないけれども、通じればいいと開きなおらない」という境地を目指すべきだというのです。
間違いを繰り返して行くと、それがまるで化石のように固まってしまい、なかなか正しい用法になおせなくなるもの。応用言語学では、これを「化石化(fossilization)と呼ぶそうです。
× NG 間違っていても、とりあえず通じればいい
→初心者だから発音も文法も間違っていい、という考えを持っていると、化石化によって、あとから間違いを正そうとしてもなおらなくなってしまいます。
○ OK 初心者でも、発音や文法を正しく身につけようとする
→間違っていても会話は通じるかもしれませんが、それは相手の協力があってこそ。間違うことを恐れる必要はありませんが、1回ごとにできるだけ正しい発音や文法を心がけることが上達の近道です。
(67ページより)
化石化を避けるために大切なのは、できる限り正確な英語の「型」を入力し、出力するように心がけることだといいます。良質な英語にたくさん触れて、英語の体力をつけていくということ。そのうえで、「なるべく正確に自分の思いや考え、気持ちを伝えたい」という姿勢で、実際の会話に臨んでいけばいいわけです。(62ページより)
文法を毛嫌いしない
「関係代名詞」「分詞構文」「仮定法過去完了」などの文法用語には、とっつきにくさがあるものです。しかし文法は、日本語と言語的に距離感のある英語を学ぶにあたり、大きな指針、よりどころになるのだというのが著者の意見。いうまでもなく、文法は英語の「決まりごと」。将棋やオセロ、スポーツなどの「ルール」にあたるものであるので、ルールを知らなければゲームはできないというわけです。
それは、オリエンテーリングにおける地図とコンパスのようなものだとか。見知らぬ山道をなにも持たずに訪れるのは無謀ですが、地図やコンパスで全体図と自分のいる位置がわかれば、安全に山を楽しむことができます。英語も同じで、つまりは文法を知ることによって、英語という言語の仕組みやルールを知ったほうが、何倍も効率よく安全に楽しむことができるということ。
たとえば”I like sushi”(私はお寿司が好きです)という英文を疑問文にすると”Do you like sushi?”(あなたはお寿司が好きですか?)になるということは、文法を知っていれば簡単な仕組みです。しかし文法を知らず、自分でこの決まりごとを発見しなければならないとすれば、それはとても大変な作業になるはず。でも文法というルールを理解していると、「英語が話せる」という大陸に泳ぎつくための重要な浮き輪のひとつを手にしたことになるのだといいます。
ところで著者は、「大人になって文法を学びなおすとしたら、どこから学べばいいのか?」という問われた場合、「中学英語位の文法」を勧めているそうです。「そんな簡単なところからでいいの?」と感じる方もいらっしゃるでしょうが、中学英語の文法には基本がぎゅっと詰まっているというのです。中学英語の文法だけで、英語はほぼマスターできるといっても過言ではないのだとか。
×NG 文法を学んでも話せるようにはならないと思っている
文法をまったく知らなければ、英語を理解し、話すのはとても難しくなります。文法を最初に知ったほうが、効率よく英語を身につけることができます。
○ OK 文法は地図やコンパスと同じ
文法によって、英語の構造がわかり、どう聞いたり話したり、読んだり書いたりしたらよいかがわかります。地図やコンパスと同じように、文法や構文を理解すると英語の世界を渡り歩きやすくなります。
(73ページより)
ふだん、なんとなく英語が話せても、「ノリ」だけで試験を突破することは不可能。より正確に英語の構造や決まりごとを知り、理解することで、結果的に「話す」英語も正確になるといいます。(68ページより)
英語を学ぶことについての考え方が「×NG」「○OK」に分けられているため、「やらないこと」を知りやすいはず。そこから、自分に最適で必要な勉強法が見えてくるというわけです。英語を効率的に学びたいのなら、参考にしてみてはいかがでしょうか?
(印南敦史)