この世にひっそりと隠れている「空洞」に気づくのは、いつだって世界の隅っこのほうにいる人たち――

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不時着する流星たち

『不時着する流星たち』

著者
小川 洋子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041050651
発売日
2017/01/28
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

回路はブラックボックス

[レビュアー] 岸本佐知子(翻訳家)

 十の物語が収められたこの本には、いくつもの、ぞくぞくするような「空洞」が登場する。

 冒頭の「誘拐の女王」では、少女の家の窓から見える団地の庭木が伐採され、奇妙な空っぽの小屋が姿を現す。そしてまるでそこからやって来たかのように、血のつながっていない、年上の謎めいた「姉」が少女の前に現れる。「姉」は妹としっかり体をくっつけあい、隙間にできた暗い空間に向けて、自分がかつて誘拐された時の冒険談を語って聞かせる。

「カタツムリの結婚式」では、空港の片隅の忘れられたような一角で、不思議な帽子をかぶった男の人がガラス板を水平にもち、その上でカタツムリレースを開催している。レースを終えたカタツムリたちは、丸ごとのキャベツをくり抜いた家に恭しく入れられ、その穴の中で彼らの静かな咀嚼の音が響く。

 うっかり置き忘れたふうを装って町のあちこちに宛名の書かれた手紙を置く、という心理実験のアルバイトを描く「臨時実験補助員」には、手紙を置くのにふさわしい絶妙な〈隙間、窪み、物陰、空洞、亀裂〉を発見するのが誰よりも上手な女性が登場する。

 この世にひっそりと隠れている空洞や隙間や亀裂は、つねに道の真ん中を歩くような、声の大きな人たちの目には、たぶん視えない。それらに気づくのは、いつだって世界の隅っこのほうにいる人たち─孤独だったり、非力だったり、何らかの欠落を抱えている人々だ。空洞が彼らに慕い寄り、彼らにとってもまた、空洞や隙間はある種の生の必然だ。

 隅っこにいる人たちの視線を得て、空洞たちはいきいきと息づきだす。さまざまな物語がそこになだれこむ。連れ合いを失ったお祖父さんの脳の洞窟に「口笛虫」が入りこむように。深く掘られた穴に死んだ象が降ろされるように。その一つひとつの物語の、なんと美しく妖しく輝いていることか。

 私がことに強く心ひかれたのは、子供の視点で描かれた物語だ。考えてみれば子供こそ、隅っこの視点をもつ最たる者だ。「カタツムリの結婚式」の少女は、自分を間違った場所に漂着してしまった遭難者だと感じていて、つねに同じような境遇の〈同志〉を探している。「十三人きょうだい」の語り手は、チャーミングだけれどどこか存在感の希薄な、名前さえもない不思議なおじさんを心の友とする。読んでいると、空想の世界と現実世界が地続きで、同じ重みをもっていた自分の子供時代の感覚が生々しく蘇ってくるようで、懐かしいような、胸苦しいような気分にさせられる。

『不時着する流星たち』では、各編の最後でインスピレーション源となった現実の人や物や出来事が明かされるという仕掛けがなされていて、これがとても面白い。種明かしをされても「なるほど」と納得することはほとんどなくて、たいていは「え、これだったの!!」とびっくりさせられる。そして作家の思考回路をたどるべく、読み終えたばかりのページを急いでもう一度読み返すことになるのだが、どんなに目をこらしても、この種からこの花が咲く仕組みはブラックボックスに入ったままだ。ちなみに私がいちばんびっくりしたのは「測量」「さあ、いい子だ、おいで」「十三人きょうだい」だ。読んだ人どうしで話し合ったら、きっと楽しいにちがいない。

 小説の、いわばネタもとを明かす、というのは、けっこう勇気のいることかもしれない。けれども手品の種明かしのように、知ってしまったから魅力が減じる、ということは全然ない。むしろ逆だ。これら地上とは異なる重力をもつ物語が現実に根っこをもっていたということに感動をおぼえるし、その想像力の飛距離には、ひたすらため息が出る。

 そして不思議なことに、元となった事物とできあがった小説とを見比べているうちに、だんだんと現実の事物までが妖しい幻想性を帯びはじめる。そして本から顔を上げて見まわすと、自分のいる世界が、物語の芽を隠しもった種で満ちあふれているかのように思えてくる。幻想の回路は伝染するのだ。

KADOKAWA 本の旅人
2017年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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