江國香織インタビュー 「人生」と「読書」が織りなす幸福に満ちた長篇〈『なかなか暮れない夏の夕暮れ』刊行記念〉
インタビュー
『なかなか暮れない夏の夕暮れ』
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江國香織インタビュー 「人生」と「読書」が織りなす幸福に満ちた長篇〈『なかなか暮れない夏の夕暮れ』刊行記念〉
ランティエ連載時から反響を呼んだ二年半ぶりの長篇小説『なかなか暮れない夏の夕暮れ』。登場人物たちがとびきり愛おしく描かれ、「人生」と「読書」が織りなす幸福に満ちた本書の魅力に迫る。
聞き手・刈谷政則
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―いろんな意味で、本当に「面白い」小説でした。まず驚いたのは登場人物が多いということ。それは意図したことですか?
江國香織(以下江國) そんなに多いですか?
―あんまり多いから登場人物表を作って数えてみました。本篇だけで十四人、端役は外してますけど。それに加えて、小説内小説二篇で十九人、総合計三十三人。こんなに登場人物が多い小説を書くのは初めてですよね。
江國 すごい。え、そんなに。小説内小説も入ってるのね、それ。それほど自覚はしてなかったけど、言われてみれば初めてですね。
―「小説内小説」という話が出たけど、主人公の稔が登場する前に、小説の冒頭がいきなり北欧ミステリになってるでしょう。驚きました。江國さんは小説のスタイルとか文体とかを作品によって書き分けられる方だから、今回はどういう風に構想して小説内小説を入れようと考えたの?
江國 小説内小説は、最初からこの小説のすごく大事な要素だった。境界線、現実と物語との境界線をわからなくしたかったんです。それで最初は絶対に驚いてもらいたかった。本の中のことだと思わずに読み始めてほしかった。登場人物が読んでいる本だとわからずに読み始めてもらって、いったんそこに出かけたのに、えっ、今の嘘だったんだというのをどうしても体験してほしかった。
―それは実に見事に成功していますね。
江國 はい、だといいんですけど。
―小説内小説の二篇はいわゆるクライム・ミステリなんだけど、ストーリー全体の組み立ては最初から出来ていたんですか。
江國 いや、あまり出来てなかった。でも連載の途中から、これは破綻したら大変だと思って、全体を作りました。それと、稔くんが「いつまで同じ本を読んでいるんだ」って思われないように、途中からもう一人に読ませてみたり、ジャマイカ篇を追加してみたり。でも、この小説はひと夏の話だから、ひと夏で二冊というのはあるかもしれない。
―読者は、江國さんがミステリ仕立ての小説を書くとは思ってないから、びっくりすると思います。
江國 私もミステリだけで一冊の本にできるとは思ってないんですけど、書いていて楽しかった。そんなにビッシリ決着をつけなくてもいいから。光景を作ることのほうが大事でした。列車の中とか雪景色とか、ジャマイカの密林とか。読者にも出かけていってもらえればよかったから。それに、今までは人を殺すシーンを書こうと思ってもどう頑張っても書けなかったのに、小説内小説では全然オッケーで、血しぶきなんか全然怖くない。なんでも自由に書けてしまう。これには自分でもびっくりした。メインのパートも同じフィクションなのに手触りが違うんです。
―江國さんは、小説のスタイル、手法や文体に敏感な作家であると以前から思っています。例えば『抱擁、あるいはライスには塩を』というのは、あれは三世代にわたる家族の物語でしょ。あんなのも江國さんは書くタイプじゃないと思っていたから、びっくりした。『真昼なのに昏い部屋』も児童文学文体だし。そのへんはやっぱり自分でお書きになる前に構想するわけでしょ?
江國 『真昼』のときは完全にそれだけだったというか。児童書、翻訳児童文学の文体で恋愛を、秘すれば花なはずのものを全部つまびらかに、悲しかったのですとか会いたかったのですとか、でも会えませんからとかやったら面白いに違いないというのが、あの小説の唯一の、最初に決めていたことだったんです。でも今回の文体、小説内小説の文体は江國香織の文体とは変えなくてはならない。ちょっと似ちゃったところもありますけど。『抱擁』のときにはあんまり文体は自分では気にしていない。ただあれはいろんな人の一人称だから、子どもの一人称は全部ひらがなにしてみようとか、お寿司屋さんは男でも俺や僕ではなくアタシというだろうとか。七〇年代くらいの設定の場合、その頃に私が連れていってもらったお寿司屋さんのご主人のしゃべり方なんか堅気の人とは違う、「アッシはね奥さん」とか。だから話者によってはあったんですけど文体はあまり意識してなかった。ただ、いつも構造が同じではつまらない、何か新しいことをしたいとは常に思っています。
―僕が一番びっくりしたのは、稔くんという主人公の年齢。最初は三十代かなと思って読んでいたんだけど、なんと五十歳!
江國 そう、五十です。うん、初めから五十歳の設定。これを書こうと思ったのは、小説内小説を入れたいというのが一つと、もう一つは五十代の人を書きたかった。自分で小説を書くときもそうなんですが、五十の夫婦の会話だったら、「あなたにお任せします」とか、すごい昔に読んだ小説の会話みたいになってしまう。でも、現実の私たちの周りの五十代ってそうじゃないでしょう。稔みたいに高校時代の友人の淳子のことを「じゅんじゅん」って言ってみたりする。だけどふつうの小説に五十歳のそういう人はほぼ出てこない。でもふと気がつけば、自分も含めて周りの誰もそんな風にしゃべっていない。「超イケてる」なんて言ってる友人もいるのに。だけど小説の中で五十代の人がそういう言い方をしないのはなぜかっていうのが不思議でした。だってねえ、学生時代の恩師みたいな五十代もいれば、いまだに合コンに行ったりしてる五十代もいるし。だからそれを書きたいっていうのが最初からあったので、五十なんです。一応、作中で、登場人物に「五十になってじゅんじゅんとか言うなよ」って言わせてはいるんですけどね。
―そのへんは、だからとても新鮮でした。
江國 この小説には本当に実話みたいなものがいっぱい入っている。自分が本を読んでいるときの感じとか。それから特に年齢について。老眼もそうだけれど、歯の矯正も。で、自分が経験したことをすぐ作中で大竹にさせてみたりとか。五十になって矯正をするとは思わなかったのに、世の中にはこういうこともあるんだって。だから私の五十歳代体験記もちょっと入っている。
―稔の親友の大竹くん、おかしいね。
江國 ついこの間結婚したと思ったらもう別れちゃったんだっていうこととか。あんなに夫婦仲良さそうだったのに、他人のお家の中はわからない。世の中って、おかしいこと、面白いことがいっぱいあるなって。
―稔というのは、独身で特定の職業を持たない高等遊民というか自由人ですよね。初めからそういう設定を考えていたの?
江國 それ以外にどうしようもなかったというか、きちんと働いてない、世の中の人が見る限りきちんと働いてないっていうのも大事だった。
―子どもはよそに作ってるし、さらに自分の子どもじゃないのに認知してるっていう。本当に羨ましい男ですね。
江國 私も羨ましい、ああいうことができるなんて。私も外に一人ぐらい子どもがいればよかった。
―江國さんの小説には、いつもドキッとさせられる名文句があります。今回深く感銘を受けたのは「夫婦というのはグロテスクだ」ってやつ。これは、稔との子どもを育てている渚の独白なんだけど、どうしてこんな名文句が出てくるんですか。
江國 心の中で四六時中、実生活を言語化しているからじゃないかなあ。夫婦ってグロテスクだなってほんとうに思ったことがあるし。言語化しないと気がすまない体質なんでしょうね。
―納得です。「言葉と物語」というのは人生の基本ですね。
江國 基本ですね、人の基本です。
―あと、稔の姉の雀がとてもいい。
江國 私も、あれはちょっと憧れだな、二つの国を行き来して暮らしていて、自由で。でも自由っていうのは孤独なことだから、それをこの姉弟は引き受けているから偉いなって思う。渚はそこまで引き受けられなかったから、ああいうことになっちゃったんでしょうね。
*…なにしろ登場人物が多いので、ここで触れられなかった個性的な人物がたくさん登場します。とにかく読んでみてください。面白さは保証付き、まれにみる傑作です。(刈谷追記)