大丈夫、出口はきっとある――。うつ病から脱出した人々のドキュメンタリーコミック。〈刊行記念インタビュー〉田中圭一『うつヌケ―うつトンネルを抜けた人たち―』

インタビュー

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田中圭一『うつヌケ―うつトンネルを抜けた人たち―』〈刊行記念インタビュー〉

自らのうつ病体験をベースに、同じようにうつ病を体験し、そこから抜け出した人をレポートしたドキュメンタリーコミック『うつヌケ~うつトンネルを抜けた人たち~』は、「文芸カドカワ」連載中から大きな反響を呼んだ。「40代の10年間をうつ病で苦しんだ」という漫画家・田中圭一さんが、画期的なうつ病脱出コミックを描くまでを聞いた。

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50歳になったら死のうと思っていた

――『うつヌケ』は、50歳の誕生日が来たら自殺するつもりだったという衝撃の告白で始まります。会社員と漫画家の二足のわらじでフル稼働していた田中さんが、うつ病を自覚されたきっかけって。

田中 直接のきっかけは転職でした。最初の1年は、仕事もうまくいって調子が良かったんですが、5年めくらいからやることなすことうまくいかなくなって、ずっと沈んだ気持ちが続くようになったんです。それまでは気持ちを昂揚させることで乗り切っていたのが、単なる気分の上がり下がりとも違う領域に入ってきたなという気が自分でもしていたんですね。自分はうつ病なんかとは無縁だと思っていたけど、ネットで検索してみたら、ことごとく当てはまる。とりあえず心療内科に行って、言われるがまま薬を飲んでいたけれど、投薬は一時しのぎにしかならないと感じていました。

――周りの人たちは、田中さんがうつ病であることに気づいていたんでしょうか。

田中 いや、会社の人たちは僕が投薬治療をしていることを知っていましたが、僕がうつヌケした後「実はうつでした」とカミングアウトしたら、会社の外の人や担当の編集さんは、みんな、口をそろえて「全然わからなかったです」と。

――自分で抱え込んでしまうからこそ苦しいというのもありますよね。

田中 当時、僕は40代で、40代の10年間がまるまる、うつ病だったんです。最初にかかった医師に“あなたのうつ病は一生ものです”と言われて、これが一生続くのかと思うとすごくつらかった。薬を飲めば治ると思っていたのに、その薬もだんだん効かなくなっていく。僕は昔、喫煙者だったので、中毒性の高いものに依存しちゃうとやめるのがとんでもなくつらくなると思って、薬を増やさず、無理したんです。それもかえって良くなかったんでしょうね。

――薬だけじゃなく、うつ病から抜け出す出口は他にないかと思うようになったのは、そこからですか。

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田中 そうですね。それでまずやり始めたのがエクセルでカレンダーを作って、会社に行くと必ず朝昼晩、その日のうつの状態を記録するようにしたんです。うつ病にも季節性があるのかもしれないという仮説を立てて〈悪い〉〈ややマシ〉〈快適〉と折れ線グラフを作ってみたんですが、自分がうつの水槽の底に沈んでいた時期には何の兆候も読み取れなかった。状態が良くなってからですね、気温差の影響があるとわかってきたのは。

――記録し続けて、自ら傾向と対策を発見したというのも凄いことだなと。

田中 とにかく抜けたかったんです。本の中でも、うつ病は得体の知れないお化けじゃなくて、妖怪なんだと。妖怪図鑑を見れば、コイツは何に弱くて、どうすればおさまるかが書かれていますよね。それさえわかれば、つきあえる感じがしてくるじゃないですか。僕の場合も、気温差の影響があるとわかって身構えができた。低気圧で腰が痛くなるのと一緒で、気持ちのセンサーが反応するんです。


――それで「気温差がある日には気をつけるように」とツイートしたら、5000ものリツイートがあったとか。

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田中 特に台風の日なんて、来るなと思いますから。メンタルなことだから、メンタルな原因があると思いがちだけど、案外、気温差の影響を受けていたりする。『うつヌケ』では僕だけじゃない、いろんなケースを取材することで、うつを抜け出すには、こんなやり方もあるんだということを知ってほしかったんです。取材した中に、会社を辞めて、死に場所を探すつもりで日本全国の温泉に入ってたら治っちゃったというゲームクリエイターの方がいましたけど、本当に必要なのは、まず休むことなんです。でも僕自身を振り返っても、ただでさえメンタルが落ちてる時に、会社を辞める決断なんてできないわけです。40代の半ばで退職したら次の仕事なんて見つかるはずがない、漫画だけで食べていけるわけがないって不安ばかり募って余計うつになってしまう。50で死のうと思ってたくらいですからね。つらかったけど、50になったら死んであげるからと自分の体に言い聞かせて、折り合いをつけていました。

うつ病のからくりを知ってほしい

――そんなぎりぎりのところを救ってくれたのが、偶然見つけた1冊の本だった。

田中 僕が自分の体験記を本にしたいと思ったのは、自分がその本に救われたからでもあるんです。心療内科の先生がうつ病になって、自らそのうつを脱出したという本で、そこには僕を長年苦しめてきたうつ病の正体が書かれていました。うつ病というのは心が鳴らす非常ベルであると。火災報知器を壊したところで火種は消えないように、薬は非常ベルを止める役割はするけど、原因はそのままになってる。つまり自分に合わない職場で無理を重ねて心が悲鳴をあげているのに、頭で抑え込んでいる状態なんです。なぜうつになるのかというからくりを知ることができたのは、大きかったですね。あなたに一番必要なのは休むことだとその本にも書かれていたけど、会社を辞めるわけにはいかないと思っていた僕は、その本に書かれていた〈アファーメーション(肯定的自己暗示)〉をやってみたんです。朝目覚めた時に自分を褒めるというシンプルなメソッドなんですが、2週間くらいで気持ちがラクになってきた。そこからですね。会社からはとうとうリストラを言い渡されたんですが、気持ちが塞いだままだったら、クビを吊っていたかもしれない。図らずも僕は会社をクビになったことで、実際には次の仕事を探すこともできた。

――うつヌケの糸口をつかんだんですね。

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田中 そうですね。そして取材してゆくと、うつになり寛解するプロセスにもいろんなケースがあって、たとえばAV監督の代々木忠監督は、ずっとフタをしてきた過去の自分の感情を解放することで、自分も解放されたんだと。うつ体験者にはそういう人が何人もいて、子どもの頃の苦しい思いを心に閉じ込めていることも、原因のひとつだとわかりました。

――仕事も家庭も順調だったのに突然うつになることもあるわけで、うつが心の病気と言われる所以ですよね。

田中 一色伸幸さんが手記の中で〈うつは心の風邪なんてなまやさしいもんじゃない。うつは心のガンだ〉とおっしゃったのは、うつが風邪のようなものだと周りに認識されてしまうと、とても休むことなんてできないからというのと、もうひとつ、うつで自殺された時に遺された人が自分を責める、これを救いたいという気持ちからですよね。ガンだと思えば、会社は休むのが当たり前だし、大切な人が亡くなったのもあなたのせいではないですよと。

トンネルは必ず抜けられる

――それぞれの体験談を読んでいると、うつ発症が抑え込んできた自分の心の声に気づくきっかけになっていたりもする。

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田中 最終回をアップした時に、うつを抜けるというのは元に戻るんじゃなくて、よりバージョンアップすることでもあるんだという感想を書いてきてくださった方がいました。それって、僕自身、すごく実感していることでもあるんです。
 僕は今、大学で学生に教えてますけど、急に課題ができなくなったり、授業に来なくなった人に対して、以前なら、何を甘いことやってるんだと叱り飛ばしていたかもしれない。でも、できなくなったからには何かそこに理由があるはずで、そんなふうに考えられるようになったのも、うつになったことで、自分のダメな側面を知ったからだと思うんです。本にも書きましたけど、他人をないがしろにしたり、暴力を振るうなんてとんでもないと思ってるのに、人って自分に対してそれをやってしまう。“お前なんか”って人間性をないがしろにするような言葉を誰かに言ったらダメなように、自分にも言ってはダメなんです。それに気づくことができれば、トンネルに入って出てきた意味がありますよね。

――うつヌケ後は、仕事のやり方も変わりましたか。

田中 そうですね。年齢的にも50代の半ばになって、昔は1時間に3つの仕事を片付けられたのが、今は1時間に1つになってるけど、体力も衰えてきてるんだし、できないって悩んじゃいけないってことはわかるようになりました。うつの時でさえ、僕は〈ねばならない人間〉でしたから(苦笑)。いくら休むことが必要だと言われても、仕事を辞めることって、なかなかできないですよね。それはもう経験上すごくよくわかるし、だからこそ今しんどい人が、どこかで辞めるタイミングが来て、またいい感じに戻れる日が来るんだって信じられる本になっているといいなと思います。最初はささいなことでいい。ひとつでいいからうまくいくと、そこからいい方向に歯車が回っていくから。僕も必死でその方法を探していたので、この本が、そのきっかけになってくれたら嬉しいです。

田中圭一(たなか・けいいち)
1962年大阪府生まれ。近畿大学法学部卒業。大学在学中の83年、小池一夫劇画村塾神戸教室に第一期生として入学。翌84年、『ミスターカワード』で漫画家デビュー。86年連載開始の『ドクター秩父山』がアニメ化されるなどの人気を得る。大学卒業後は玩具メーカーに就職。主にパロディを題材とした同人誌も制作。最新刊は2017年1月刊『田中圭一のペンと箸』。

取材・文|瀧 晴巳  撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2017年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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