阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子 座談会〈後篇〉/文士の子ども被害者の会

対談・鼎談

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「町田市民文学館ことばらんど」開館10周年記念座談会〈後篇〉 阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子/文士の子ども被害者の会

■文士の子どもに生まれて


写真⑤

 ――時間があと十分ぐらいになりました。最後のお写真です(写真⑤)。

斎藤 これは遠藤先生の没後十年の時ですから二〇〇六年ですね。阿川先生と父とで遠藤先生の思い出話の対談をした時のものです。父は一回も阿川先生から怒られたことがないままでした。

阿川 北さんには本当に優しいんですよ。「マンボウ、つらいかい? 大丈夫かい?」。その愛を少しこっちに(会場笑)。

斎藤 阿川先生は茂吉の歌がお好きでしたね。だから父がヘンテコでも優しかったのです。この対談の時も、阿川先生が茂吉の歌をいくつも諳んじてらしたのを覚えています。

遠藤 この写真、私は後ろのお二人が痛ましいなと思って見ております。この笑顔は、作家の子ども独特の営業スマイルですね(会場笑)。

阿川 やはりフジテレビの取締役にもなると営業スマイルがわかるわけですね。

斎藤 そういえば、父のセリフでみなさんにお伝えしたい言葉がありました。その昔、父が株の売買をするので、その度に母から、「いい加減にして下さい。茂太お兄さまも輝子お母さまもみなさん心配してらっしゃるのよ!」と言われるたびに、必ず「遠藤さんの家を見ろ。阿川さんの家を見ろ。うちよりもっとひどいんだぞ!」って言うのです。それを私はずっと子どもの時から聞いてきたので、「うちよりもっとひどいおうちがあるのだ」と、佐和子さんを心の支えにしていました。

阿川 申し合わせたわけでもないのに、うちも同じです。父は突然感情が抑えられなくなる時があって、自分でもこんなに怒るはずじゃなかったのにっていうくらい怒り続けて、家族が泣いたり、お膳をひっくり返したりした後で、「だけど、おまえ、しょうがないんだよ。俺の仕事はヤクザな商売なんだから、これでも文士の中では相当まともな方だと思う。遠藤の家を見ろ。北の家を見ろ。あそこよりよほどましだ」というのが口癖でした。

矢代 うちの母の口癖は「我慢してパパに書かせなきゃダメなのよ」でした。

阿川 それはすごい。お母さまは出ていったりせずに、ずっと我慢なさって?

矢代 母はプチ家出みたいなのはしましたけど、でも、とにかく宥(なだ)めすかしてパパの機嫌取って、書かせなきゃうちは生活できないのよ、と。その影響で、私も子ども心に、今思えば健気で泣いちゃうんですけど、「私が我慢すれば、パパはいいセリフが書けるんだ」って本気で思っていたんです。というのは、実際に舞台を観ると、「ああ、私が我慢したから、こういうセリフになったんだ」って思えるんですよ。そう思わせる空気が作家のうちにはあるんでしょうね。

 ――お話は尽きませんが、そろそろお時間になりました。面白いお話もたくさんありましたが、感動的なエピソードもいっぱい伺えました。

阿川 感動して頂くような話はなかったと思いますけどね。ただ、ここにいる四人は、今日お話ししたようなひどい目に遭いながら、それを笑って話せるというセンスをそれぞれの父に植えつけられたんじゃないかという気がします。生きていく中で、どんなに嫌なことがあったり、嫌なやつがいたり、仕事が面白くなかったりしても、それをどうやって笑いにひっくり返すかってことに執念を燃やすように躾けられた気がするんです。それはまあ、有難いことだなと思いますね。

遠藤 このバラバラな話をどうやってまとめるのかと心配していましたが、さすが座談の名手阿川さんですね。いい締め括りで感動しました(会場笑)。

 開催・町田市民文学館ことばらんど

阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子 座談会〈前篇〉/文士の子ども被害者の会

新潮社 波
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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