阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子 座談会〈後篇〉/文士の子ども被害者の会

対談・鼎談

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「町田市民文学館ことばらんど」開館10周年記念座談会〈後篇〉 阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子/文士の子ども被害者の会

■「俺は最高の父親だ」の日


写真①

斎藤 これは朝子さんとお父さまのドライブ中のお写真?(写真①)

矢代 父も若い頃から結核に何度かなっていて、先輩の文学者に勧められて軽井沢に行き始めたんですね。で、執筆中はしばしば、「うるさい!」と怒鳴られて、子どもたちは車に閉じ込められるんです。だから、この写真をよーく見て下さい。寂しそうな顔してるでしょ。

阿川 執筆中は車に閉じ込められるの?

矢代 父が執筆している時は、母は私たちを外で遊ばせていたんです。でも万策尽きると、手っ取り早く「車の中にいなさい」と。

阿川 うちも「うるさい」ということが父の癇癪の一番の原因だと幼い頃からわかっているから、もうヒソヒソ声でしか話さないんだけど、それでも突然襖がガーッと開いて、「うるさい!」。それで、何も喋っていなくても、「うるさい!」。え、と思ったら、「おまえたちがそこにいる気配がうるさい! 出ていけ!」。

遠藤 気配は消しにくい(会場笑)。

阿川 でも、矢代静一さんも相当自分中心な方だったのねえ。嬉しいなあ。


写真②

矢代 子どもたちが車に閉じ込められてかわいそうも何もないんです。で、次の写真が最初で最後の海水浴です(写真②)。

斎藤 うちは父が「躁病、鬱病、夫婦別居、破産」とあったので、家族でドライブに行ったことも遊園地や海水浴に行ったこともないので、この矢代家の家族愛に満ちた海水浴の写真は羨ましいです。

矢代 ちょっと聞いて。母が撮っているから、母は映っていませんが、父だけ満足そうで、子ども三人はすごく疲れているでしょ? 妹(右端)は次女の強さで、ちょっと我関せず風ですけど。

 これは軽井沢から新潟の直江津まで、母の運転で海水浴に行った時です。道中ずっと、私たちは父がいつ機嫌が悪くなるか、いつ「帰るぞ」って言うか、そればっかり心配してたんです。だから、海に到着したらホッとして、もうどっと疲れてた。そんなに楽しそうじゃないでしょう? 父だけは「今日は家族と海水浴に来るなんて、俺は最高の父親だ、百二十点だ」って顔なんです。第一、父は体が弱くて、泳いだりしないし、運転もしないから、この写真の時にはもうビール飲んでいるんじゃないですかね。

阿川 でも、きっととびっきりの家族サービスをしたおつもりなんですね。

矢代 そう。だから、すごく充実した顔してるの(会場笑)。車の中でも、煙草は吸い放題で、お腹すいたとかトイレ行きたいとか、子どもより全然ワガママで。

阿川 朝子さんは、例えば自分からドライブ中にあそこ寄りたいとか、のど渇いたからジュースが欲しいとか言わないでしょ?

矢代 ああ、もうありえないです。

阿川 ありえないですよね。うちも車の冷暖房の温度設定の権利は父しか持っていなかった。

矢代 阿川先生は運転なさるけど、うちの父は運転もせずに、助手席で言いたい放題なんです。「もう行くの止めよう、引き返そう」とか。

阿川 お父さまから殴られたり蹴られたりってこともあるんですか。

矢代 殴るふりはしましたね。父は虚弱で、殴るだけの元気がないですからね。

阿川 私は蹴られましたけどね。

斎藤 ……人のお家の不幸なお話って、すごく楽しいものなんですね。心が救われます(会場笑)。

阿川 でも、北さんはお優しかったけど、ご苦労も多かったでしょう?

斎藤 父は躁病の時は「マンボウ・マブゼ共和国を作りたい」とか、いろいろなことを言うのでややこしいですが、鬱の時はすごく穏やかで優しかったです。

遠藤 躁鬱は季節物だったりしますか?

斎藤 夏に躁病になることが多かったです。以前、母に「パパと阿川先生とどっちが大変だと思う?」って訊いたら、「パパは一時的なものだから、やっぱり阿川先生かしら」と申しておりました(会場笑)。次の写真は軽井沢の遠藤邸での集まりです(写真③)。


写真③

阿川 北さんや矢代さんのご一家に囲まれて。これ、遠藤さん何してるの?

遠藤 この時はこういうのに凝ってたんですよ(会場笑)。

斎藤 これは遠藤先生の広大な別荘ですから、写真に写っていないところに、「三田文学」の若い編集者の方たちがいらしたんです。遠藤先生が「最近ニューヨークで『モンキー・ドライバー』という歌が流行ってるのを知ってるかね」と仰って、「三田文学」の方たちも父たちも「知りません」と言ったら、遠藤先生が、「こんなに流行ってる歌を知らんのは作家失格、編集者失格だ!」と言うと、いきなり「お猿の駕籠屋だホイサッサ♪」と歌い踊られた。これはその光景です。

矢代 それ、レコーディングしましたよ。うちの父が歌う「すみれの花咲く頃」と遠藤先生の「モンキー・ドライバー」と北先生の浪曲が入ったレコードが出ています。

斎藤 矢代先生は宝塚を愛してらっしゃるので、こういう場では必ず最後に「すみれの花咲く頃」を歌われるんですけど、だんだん年ごとにバージョンアップして、最後は女装してドレスを着て、矢代家の別荘の階段から宝塚の大階段のように歌って降りて来られた。私は矢代先生とお目にかかるのは軽井沢だけで、ユーモアのあるお姿や、「朝子、友子」とお嬢さまたちに優しいお姿しか見たことがなかったので、先生がしばしば不機嫌になっていたなんて今日初めて知りました。

矢代 だから、子どもは戸惑うんですよ。執筆の最中は、お茶を出しに行って目があっただけでも怖い顔で睨まれたりするのに、お酒飲むと豹変するんです。

阿川 そんな楽しいことをしてらしたんですね、ご家族一同集まって。うちは招かれてなかったな(会場笑)。

矢代 でも、遠藤先生お出ましの大掛かりな宴会は、ひと夏に一、二回のことですよ。なにしろ遠藤先生はお忙しかったから。

新潮社 波
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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