『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』
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『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』
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村上春樹の新作を「体験」してみた!
[レビュアー] 成毛眞(書評サイト〈HONZ〉代表)
ひと月半ほど前のこと、編集部から村上春樹の新作を書評してみないかと問われたので、頭を下げて即座にお断りした。自分にはその資格も能力もないと知っていたからだ。
36歳のとき、ふと『ノルウェイの森』を読んだ。読み終わってから1週間ほども引きこもってしまい、困りはてた記憶が残っている。死と生と心の病の圧倒的なイメージにへたりこんでしまったのだ。文学とはかほど強力なものだと思い知った。
それ以来、一冊たりとも文学には手を出していない。サイエンスを中心としたノンフィクションを読むことに専念している。死や不幸は、夜になって迷い込んでくる蛾のようなものだと思いたかったのかもしれない。ならば叩き潰せばいい。
しかし、そのことを知っていた編集部は、では書評や作品論ではなく、読書体験ルポであれば書けるだろうという。一理ある。
発売日の朝、本が届いたのでさっそく帯とカバーを剥がした。文学書に向かうときにはいつもそうしていた。学生時代にサルトルの『嘔吐』を読んでからの癖だ。そのときのカバーはパラフィン紙だった。
読みすすめて数時間たったとき、それは目の前に突然現れた。日常生活の近傍にある異形のもの。日々の生活の細々としたことに面倒臭さを感じない、主人公たちのような人にだけ見えるものなのだろうか。思わずまわりを見回したが、死んだ蛾すら見えなかった。
花粉症のためか鼻がムズムズする。本を読みながらティッシュを取り出したとき、ふと紙が箱に擦れる音が気になった。画家とスノッブな金持ちの邂逅から始まるこの本が感覚を鋭敏にさせているのだろうか。60歳を超えて鈍麻したさまざまな知覚が戻ってくるような気がする。このときからページをめくる手が止まらなくなった。
この本の楽しみ方のひとつに、各章の見出しをじっくりと頭に刻み込んでから、本文を読むということがあると気がついた。この体験はまったく新鮮で、手元に置き数年後にはもう一度じっくり読んでみることになるだろう。
ともかく、読み終えたのは翌日の午後だ。最後の数十ページを読んでいるときに宅配便が来た。本を読む手が止まった。不思議にも苛つかなかった。本当はもっとじっくりと楽しみたいと思っていたのだろう。たしかに書評する資格はないが、文学を楽しむ能力が残っていることに喜びを感じた2日間だった。