「コロンブスの不平等交換」とは何だったのか――先住民の視点から、モノ・ヒトの移動を通じて世界史を見直す

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先住民の視点から、モノ・ヒトの移動を通じて世界史を見直す

[レビュアー] 稲村哲也(放送大学教授)

 今日のグローバル化の源流は大航海時代にあり、ジェノバ出身の航海者クリストーバル・コロン(コロンブス)こそが、その後の歴史に最も大きな影響を与えた人物と言って間違いないだろう。一四九二年、地球が丸いことを確信し、スペインのイサベラ女王の支援を得て、極東の黄金の国ジパングを目指し、西に向けて出帆したコロンブスとその一行は、苦難の航海の末、未知の大陸、すなわち「新大陸」アメリカに到達。それが、スペインによるアステカ王国征服、インカ帝国征服につながり、金銀財宝の略奪、植民地体制下での鉱山開発やサトウキビ栽培等によって莫大な富をヨーロッパにもたらし、コロンブスは、偉大な英雄として後世に名を残すことになる。

 しかしながら、「新大陸」(この名称がそもそもヨーロッパからの視点にほかならない)にもともと住んでいたアジア系の人びとにとっては、豊かで平和な生活との決別と、今日まで続く悲劇の始まりであった。征服、虐殺、植民地による被支配・搾取、ヨーロッパから持ち込まれた疫病による悲劇的な人口減少、現在まで続く差別と貧困。

 今では、こうした負の歴史に光を当てた書籍も少なくない。しかし、本書のように、コロンブス以後の新旧大陸間の接触と交流の影響を、モノとヒトの両面から、これほど多角的かつ緻密に、そしてダイナミックに描き切ったものはほかには無い。本書の優れた内容は、著者の研究歴をたどることで納得できる。

 一九六八年、著者は京都大学農学部の学生のとき、アンデスの栽培植物の起源に関する調査団に参加し、初めてペルー、ボリビアの地を踏んだ。そのとき、著者が最も強い印象を受けたのは、四〇〇〇メートルの高所で踏み鋤によって畑を耕す先住民インディオの農民や、雪の舞う高原で寒さに耐えながら家畜を追う少年少女たちだった。それによって、著者の関心は、栽培植物から、それを栽培する人々へと向かい、農学から民族学へと転向する。以後、五〇年近くアンデスに通いつめ、インディオの村で生活を共にし、彼らの視点に立ち、地を這うような調査研究を続けてきた。その間、アンデス研究の原点であった植物学・農学への関心も失われることはなかった。そして、著者の関心はさらに、空間的にはアンデスから世界へと広がり、時間的には過去へ─コロンブスを起点として、それ以前(先史)と以後(歴史)─広がった。

 本書は、そうした著者の研究歴の集大成といってもいいだろう。著者は、一九七八年に京都大学にて「トウガラシの起源と栽培化に関する研究」で農学博士の学位を取得し、二〇一五年には東京大学にて「中央アンデス農耕文化論」で文化人類学分野の学術博士の学位を取得している。

 学会では文理融合型の共同研究の重要性がしばしば唱えられるが、実際にはなかなか難しい。しかしながら、著者はこれまで、多くの優れた文理融合型研究プロジェクトを率いてきた。本書にみられる、理系(植物学・農学)と文系(民族学・文化人類学)の見事な統合は、そうした著者の研究歴を反映している。

 本書の内容は極めて専門的な知見に基づいているが、たいへん読みやすい平易な表現で綴られている。本書に込められたテーマは多様で、かつ相互に関連づけられている。なかでも、「インディオの貢献」としてのジャガイモやトウモロコシの栽培化とその世界への拡散、及びその食と社会への影響に関する記述は圧巻である。そのほか、アンデスの多様な環境、インディオの暮らし、旧大陸の家畜の新大陸への導入とその影響、楽器の多様性とその歴史的背景、奴隷制と三角貿易とそのインパクト、新大陸に持ち込まれた疫病の悲劇的な結果とその背景など、重要で興味深いテーマが続く。

 読者は、自分が関心をもつテーマから読み進めてもいい。そこから関心がひろがり、読み終わったときには、世界史への新しい見方を体得することになるだろう。

 ◇角川選書◇

KADOKAWA 本の旅人
2017年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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