北村薫×宮部みゆき 対談「そこに光を当てるために」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開
対談・鼎談
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北村薫×宮部みゆき 対談「そこに光を当てるために」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開
闇を照らす光とならん
北村 実は、「宝石」以外にもアイディアノートが雑誌に掲載されているんです。「小説新潮」昭和五十五年二・三月号に掲載された「創作ヒント・ノート」です。
宮部 また連載を休んじゃったのかなあ、なんて(笑)。
北村 すごい発言ですね(笑)。私はこれを読んで、「家紋」(新潮文庫『死の枝』収録)という短編に改めて感服したのですが、まず、「自作のトリック分類表」に、
〈(g)その他の各種トリック=「家紋」。――(松本注)北陸地方に実際にあった事件からヒント。提灯に家の定紋が付いている。〉
とあるんです。
宮部 「家紋」とは、五歳の雪代の家に、釣鐘マントの頭巾をかぶり定紋入りの提灯を持った男がやってきて、まず父を、さらに母を連れていってしまう。
北村 さらに、『推理小説作法』の「創作ノート」にも、
〈凶器を知らすな。山芋掘りの事件。〉
つまり、いくつものアイディアを絡めて「家紋」という短編を作っていったのですね。
宮部 翌朝二人が死体で見つかり……、本当に恐ろしい話です。
北村 この作品が傑作なのは、清張先生が古く懐かしい時代の闇を書くことに成功しているところです。冒頭の闇はとにかくすごい。
宮部 はい! 冒頭の闇は、多くの作品に共通する要素ですね。『砂の器』の冒頭もそうです。機能的な文章ですが、情景が見えるんです。事件が起こる時の暗さ、夜明け前の操車場の暗さが、私たちの前にぽーんと投げ出されて、これから刑事たちがこの謎を解いていくのかとひきこまれてしまう、あのオープニングの仕方が私はすごく好きです。
北村 私が子どもの頃はまだ本当の闇があったので、夜、誰かが戸を叩く恐怖というのは、実際の記憶としても伝わってくるわけですが、「家紋」にある闇の恐怖は傑作です。
宮部 山芋掘りの道具と身長錯誤のトリックが使われていますよね。
北村 ええ。逆にいうとそれら謎解きミステリーの要素をねじ伏せるほどの闇を書くことに成功した清張先生の筆力が、この作品を傑作にしたのです。背の高い男についての真相はビジュアル的に、笑いを誘発しそうな危険がある。この要素を普通の作家が使ったら、とんでもない作品になったかもしれませんよ。
宮部 まさに筆力。
北村 「理外の理」という売れない作家の怨念を描いた短編推理小説がありまして、作家が持ち込んだ原稿の内容通りに殺人が行われるという。これもまた並の書き手が書いたら、どうなるか分からない話を、見事な作品にしてしまう。その作家的力量には舌を巻くしかありません。清張先生は、実に凄い。
宮部 「理外の理」は『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション』(文春文庫)に収録させていただいた作品ですが、犯人の動機など、雰囲気作りはきちんとできているから作中で違和感はありません。ただトリックだけ取り出して見てしまうと浮いてしまうかもしれませんね。けど、清張さんは本格ミステリーに大変深い愛をお持ちでいらっしゃいますよね。
北村 「松本清張自選傑作短篇集』(読売新聞社)に「内なる線影」という本格ミステリーが収録されています。画壇の重鎮夫妻とヒッピーの画家が殺害されてしまい、その謎を精神科医が暴く、という話です。アイディアとしては非常に面白い作品なのですが、本格物としての要素が、ここでは小説の邪魔をしている。清張先生の作品の中でも決して一流のものとはいえない。それを先生は、自選集に収録なさっている。これが非常に面白いと思います。一作は本格物を入れたいという心の動きが手に取るように分かります。ただ、清張先生は、本格ミステリーの最大要素である謎を解くということより、謎の裏に存在するものを明るみに出す、いわばカバーされているものをディスカバーしたいという気持ちのほうが勝っているのではないかと思うんです。だから『風の息』や『昭和史発掘』(共に文春文庫)などという普通の人が書いたら退屈しそうなものでも読者は飽きないどころか、大変なサスペンスを感じる。やめられないとまらない状態になってしまう。
宮部 論証そのものがスリリングなんです。暗いところに光を当てていくという作業を愛する作家だったのでしょうね。
北村 おそらく。しかも、自らの手で覆いをはぎとって、真実をみるわけです。
宮部 そう考えると、元来暗いわけではないけれど、いつの間にか世間から見えなくなってしまった部分に明かりを点し、点を線でつないで白日のもとにさらしていくという方法論の作品で、傑作が多いですものね。
速記者との意外な関係
北村 そういえば宮部さん、『人間・松本清張』という清張先生の速記者、だった福岡さんという人が書いた本はお読みになりましたか。
宮部 こちらは意外にも、昔、図書館で読みました。私も速記者だったので興味、があったんです。
北村 宮部さんは作家デビューされる前は速記をなさっていたわけですが、実際に読んでどう思われましたか。
宮部 あの頃は、自分が物書きになるとは思わず、速記者でありミステリーの読者という立場で読んでいたので、「大変だろうけれども、こういう仕事ができたらいいなあ」と。
北村 『わるいやつら』(新潮文庫)を清張先生が書いていた頃に面白い記述があります。
〈この『わるいやつら』では、私はたいへんな失敗をしでかした。ある場面に登場してくるはずの女が誌上では別の女になっている。これは明らかにミスだ。早速、編集者から電話がかかり、松本さんも弱ったが、私も蒼くなった。速記帳を調べると、私が聞き間違えたのか、松本さんが言い聞違えたのか、はっきりしなかったが、とにかく別な女の名前が符号に書いてある。(中略)こういうときの松本さんの態度は立派であった。他人に責任をなすりつけるようなことはしない。自分が全責任を負って、次号では、その女が登場しても不自然でないように筋を発展させた。これがテンポを早める結果になり、むしろ小説全体が引き緊まって好評だった。〉
想定外のことがおこって意外な展開となり、よりよくなることがあったんでしょうね。
宮部 でも、口述筆記は大変だったと思いますよ。一時間の口述を起こすのには十時間かかるというのが、私が速記をやっていた頃の標準でしたから。『古代史疑』(中公文庫)など専門用語が出てくる作品ならなおさらのことでしょうね。どうやら、清張さんは声色も使っていたみたいですね。
〈特にランキャスターという外人が凄みを利かすところなどは、いまだに強烈な印象として残っている。〉
ですって。ひとり朗読会みたいなものですね。あっ、税金についても書いてますよ。えっ、一日十一万円? 一ヶ月で三百三十万円? 最高税率が高かった時代ならではだなぁ。
北村 その辛さを文藝春秋の方が歌に託した「文壇『王将』の歌」も載ってますね。切実だな。清張先生は速記者を主人公にした「電筆」という作品を昭和三十六年の「別冊文藝春秋」に発表しています。清張先生がネタに困っていた時に、福岡さんが田鎖さんという日本の速記の考案者のことを教えて書いたという伝記です。
宮部 はい、田鎖式速記というのが日本の速記の草分けなんです。
北村 さすが、よくご存じですね。
宮部 速記の学校では速記の歴史から習うんですよ。
北村 私は未読ですが宮部さんは……。
宮部 私も未読です。清張さんは全集に収録されていない短編だけで全集の一巻分くらいあるそうですよ。まだまだ未読の作品だらけです。