北村薫×宮部みゆき 対談「そこに光を当てるために」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

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北村薫×宮部みゆき 対談「そこに光を当てるために」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

女性に優しい清張作品

宮部 そんな清張さんですがロマンティックな部分もお持ちでいらっしゃったようですね。先ほどの「創作ノート」に、

〈「落書」昔、若い時に恋人ときた古い寺に、そのまま壁に二人の名を書いた落書が残っている。中年になった人妻の感慨と感傷。

○こんな甘いものも考えたりした。〉

 とありますよ(笑)。

北村 お書きになる小説からも漂ってきますが、すごいロマンティシズムの持ち主ですね。

宮部 そうですよね! 松本清張の世界は、けっして硬派なものばかりで構成されているわけではありません。社会派ミステリーの傑作『ゼロの焦点』だって、実は切ない夫婦愛が核になっているんですよね。『波の塔』『風の視線』(共に文春文庫)『水の炎』(角川文庫)というヒロイン三部作もありますし。

北村 青年検事の小野木と被疑者の妻頼子の悲恋を描いたロマンティックサスペンス『波の塔』は名作ですね。青木ヶ原樹海が自殺の名所として有名になった作品でもありますが。

宮部 一方で、悪女もたくさん書いていますけれど、女性の怖ろしさではなく、置かれた立場が弱いゆえに、生き抜くために残酷なことやあくどい手段をとらざるを得なかった女性であって、彼女たちを責めてはいないような気がします。だから、ラストシーンでひどい目に遭うのも、たいてい男性。女性が無惨に終わるケースは少ないですよね。

北村 平凡で薄幸な女・成沢民子がささやかな悪をきっかけに人倫の道を踏み外していく、その生涯を描いた長編『けものみち』(新潮文庫)は?

宮部 壮絶なラストですが、ある意味で、民子は生き方を全うしたからあれは仕方ないのではないでしょうか。清張作品は女性に優しいということを、この際、宮部はうったえたい!

北村 『波の塔』にしても、樹海に去ったヒロインの頼子の方が、残された小野木より幸せかもしれませんね。

宮部 もしかしたら頼子は樹海で誰かに助けられ、とても幸せな後半生を送れたかもしれませんよ。もちろん切ない記憶は喪って。

北村 そんな都合のいい、日本昔話のようなことが起こりますか(笑)。

宮部 わからないですよ。けど、私のこんなバカみたいな話を清張さんが聞いておられたら「まったく今時の若いもんは」と笑われてしまうかもしれませんね(笑)。

小豆と砂袋の謎

北村 いや、けど本当に聞けるものならご本人に聞いてみたいです。

宮部 えっ、本気で頼子の行く末を?

北村 ……違います。宮部さんは清張先生の作品で、小豆を凶器に使った小説に心当たりはありますか?

宮部 小豆……? お餅ならば「凶器」(新潮文庫『黒い画集』収録)で犯行に使われていますよね。

北村 ええ。『松本清張対談集 発想の原点』(双葉文庫)に掲載されている佐野洋氏との対談で、清張先生は興味深いことを発言しているんです。

〈凶器を食べるというのはロアルド・ダールの作品にもありますけど、ぼくの小説で使ったのには小豆がある。それを袋に入れて固くして、それで相手の頭を殴りつけて殺すんですが、類似のものとしてはアガサ・クリスティーのに砂袋がありますね。それは使ったあと、その砂を庭にぶちまけて、それで凶器が何であったかわからないようにするんです。(中略)そういうのから、ぼくの小豆袋は思いついた。〉

 とあるんですよ。清張先生は戦前の雑誌「新青年」か何かで読んだらしいのですが。

宮部 そもそもクリスティーの砂袋とは、どの小説に登場したトリックでしょうか。

北村 「パーカー・パインの事件簿」に砂を入れた靴下で殴ったという話はあるんですが、戦前には翻訳がないんです。引き続き調査をしたところ、『シタフォードの秘密』に砂袋で殴る場面があると分かりましたが、それも砂袋で殴った、だけでトリックにはなっていません。だからまず清張先生が引き合いに出しているクリスティーの作品が分からない。昭和三十八年六月号の「宝石」に掲載されている自作解説でもクリスティーの砂袋について語っていますから、清張先生の記憶に鮮明に焼きついていることは間違いない。一方、清張先生が小豆をトリックに使った作品も、いろいろ調べてみても見あたらない。

宮部 ぜんざいとの連想から、小豆と餅がごっちゃになってしまったとか?

北村 それは私も考えたんですけどね……。さらに調べを進めるうちに、光文社から出版されている『黒い画集』の復刻版に以下の文章を見つけたのです。

〈クリスティの「砂袋」は、もう三十年前に読んだ作品で、そのときはひどく感心した。このような味のものはできないかと考え、最初は凶器に小豆を設定した。だが、小豆では粒が大きくて密度がない。そこで日本旧来の正月の習慣である「のし餅」に替えた。〉

 私が思うに、「僕は小豆でやろうとしたんだけどね」というニュアンスのことを対談で言ったら「使った」ことになってしまった。そういう作品はなかったのではないか。

宮部 うーん。対談ならではの現象ですね。

北村 私たちにも経験のあることですよね……。しかし謎が残るのは、清張先生が読んだというクリスティーの砂袋が分からないわけです。

宮部 どこかで読んだ記憶があるような気もします……。けど思い出せないなあ。

北村 小倉の松本清張記念館にも問い合わせてもらったのですが、小豆を使ったものに心当たりはないようです。

宮部 強者揃いの清張記念館の皆さんも首をひねるようなことなんですね。残されたミステリーですね。

新潮社 小説新潮
2009年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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