機動戦と陣地戦の両面攻撃 2010年代の評論を切り開く意欲作

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シン・ゴジラ論

『シン・ゴジラ論』

著者
藤田直哉 [著]
出版社
作品社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784861826122
発売日
2016/12/27
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

機動戦と陣地戦の両面攻撃 2010年代の評論を切り開く意欲作

[レビュアー] 町口哲生(評論家・哲学)

 本書は、庵野秀明監督の最新作『シン・ゴジラ』をさまざまな角度から論じた評論書である。映画の撮影技法で喩えると、カメラのアングル(角度)のハイ・フラット・ローの三つだけでなく、カメラの機動力を活かしたパン、トラッキング、ズーム、ドリーなどを駆使した結果、臨機応変に『シン・ゴジラ』が論じられており、まさに機動戦の様相を呈している。この機動戦とは、かつて伊の思想家アントニオ・グラムシが革命闘争の形態を機動戦と陣地戦の二つに分けたという意味で使う。たとえば、第一章にて政治家や官僚、Twitterなどのさまざまなコメントなどを散りばめつつ論じる評論スタイルは、まさしく機動戦であり、突破口を開く勢いである。とはいえ第二章から第四章にかけて読み進めると、塹壕や要塞などを母体とした陣地戦の局面を備えており、いわば両面攻撃で10年代の評論を切り開く意欲作となっている。
 たとえば第二章「ゴジラ対天皇」では、川本三郎がいうゴジラとは「第二次世界大戦で死んだ死者たちである」という説を契機として、赤坂憲雄・加藤典洋・笠井潔ら過去のゴジラ論を検討していくが、この章はいわば「文芸評論」の要塞において/対して戦いを挑む。そして『シン・ゴジラ』におけるゴジラとは「東北や福島の、首都に搾取され…土地を原発に売らざるを得なかった怨念の全てが篭もっている存在」であると断言する。また第三章「ゴジラ対メタゴジラ」では、ゴジラのもつ象徴の多様性や解釈の多数性を『虚構内存在』(作品社)の問題意識に沿って読み解く。こちらは第二章の論者以外に、高橋敏夫・八木正幸らのゴジラ論を取り上げ、ゴジラにみられる「恐怖や破壊の情動的な快楽が、歴史的記憶と結びついた倫理やタブーなどの、高度な認知と齟齬を起こすこと」に居心地の悪さがあると看破する。ゴジラを観終わった際に感じる快楽/タブーの齟齬。思わず首肯してしまった。
 そして藤田は再び機動戦を選択する。たとえば第三章後半で語られるゴジラの「かわいい」化では、『シン・ゴジラ』のタイアッププロモーションにおける二次創作を『崖の上のポニョ』やサンリオ・ポケモン・ゆるキャラと比較し、さらにBL化にも言及。また第四章「科学対物語」では、ゴジラシリーズ(日本版29作+ハリウッド版2作)での『シン・ゴジラ』の位置づけ。そして第五章「神対罪」で開示されるニュータイプの日本浪漫派としての『シン・ゴジラ』という読解(個人的にここが一番の読みどころ)。これらを読み進めるにしたがって、その弾幕の張り方が容赦なく、防護射撃するまでもなく降伏してしまった。評者が付け加えるのは、ゴジラの元ネタである『原子怪獣現わる』の監督レイ・ハリーハウゼン論の展開、ゴードン・ダグラス監督の『放射能X』への言及、庵野のDAICON FILM時代の特撮からの流れぐらいで、これほど評論のコードを刷新した見事なシン・ゴジラ論は今後出てくるとは思われない。
 藤田直哉こそ真・ゴジラである。

週刊読書人
2017年2月17日号(第3177号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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