マクロとミクロの視点でみる江戸時代の授乳・離乳の営み

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江戸の乳と子ども

『江戸の乳と子ども』

著者
沢山 美果子 [著]
出版社
吉川弘文館
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784642058414
発売日
2016/12/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

マクロとミクロの視点でみる江戸時代の授乳・離乳の営み

[レビュアー] 蔦谷匠(京都大学大学院理学研究科・日本学術振興会特別研究員〈PD〉)

 授乳・離乳をとりまく状況は近年ストレスフルになってきている。公共の場での授乳が非難されたり、自身の母乳哺育の実践と医学的な推奨とのずれに不安を感じ、さらには自責の念を抱いてしまったり。人類学的な視点から授乳・離乳を見ると、その営みは本来とても多様で柔軟なものなのに、現代日本社会では、唯一絶対の正解があるかのように捉えられている向きがある。
 ヒトの授乳・離乳の多様性に、新たな事実を付け加えるのが、本書である。江戸時代の人びとによってなされた子供の命をつなぐための営みが、乳や授乳という観点から探られている。本書は、過去の人びとの授乳・離乳の研究分野における待望の成果であるとともに、現代の授乳・離乳にストレスを感じる人にも有用な視点を提供するものである。
 本書ではまず、「はかない命」の江戸時代に、現代とはいくぶん異なる授乳・離乳の営みがなされていたことが、文献史料の丹念な調査から明らかにされている。現代のような高カロリー高栄養の食物が容易に手に入らない時代、数年にわたる授乳は、乳幼児の生存に必須であった。しかし、出産のために母親が亡くなりやすく、病や重労働のために母親の乳が得にくくなる状況も多かったため、母親以外の乳を必要とする乳幼児、つまり乳の需要も多かった。その一方、乳幼児死亡率も高かった江戸時代、出産して乳が出るようになったものの、自身の子は亡くなってしまった女性、つまり乳の供給も一定数存在した。子供の命をつなぐために、そうした需要と供給をマッチさせる公的なシステム(赤子養育手当など)や私的なネットワーク(里子、貰い乳など)が発展していた様子が明らかにされている。
 こうした状況には功罪があったことも考察されている。母性神話のもとで母親と子供が密室に隔離されるような近代以降の状況は、江戸時代にはほとんどなく、授乳の実践はもっと開かれていた。父親、上の子、ご近所さんなども、授乳という営みに組み込まれ、母親と意識を共有していた。その反面、乳とそれを出す身体が売買の対象になっていた事実も明らかにされる。貧しさのために自身の子を犠牲にした乳母奉公や、緩慢に乳を断って乳幼児を死に追いやる「ほし殺し」など、乳をめぐるシステムやネットワークの、いわばダークサイドも復元されている。
 近世から近代における西洋の授乳・離乳は手厚く研究されていたものの、近世日本における研究は散発的だった。それを体系的にまとめて、生物学や歴史人口学の視点も組み込んで考察した本書は、この研究分野における大きな貢献である。
 全体を捉えるマクロな視点だけでなく、一人ひとりの姿を丁寧に復元しようとするミクロな視点が随所に見られることも、プロローグで著者が述べているとおり、本書の特徴のひとつである。統計資料や政策に関する文書を調べるだけでなく、日記や随筆などから個人のライフヒストリーを捉える適切な努力がなされている。本書を読むと、授乳・離乳に対する江戸時代の人びとの振る舞いや思いがリアルに想像され、なんだか温かな親近感を抱いてしまう。
 特に、子供のライフヒストリーや、子供自身の声を拾える貴重な史料である『柏崎日記』を研究した章は、一段と出色である。乳をめぐる両親の苦労・奔走には同情し、ときに甘えときに強がる離乳前後の子供のかわいらしさには思わず頬が緩む。また、下の子が産まれた後に「乳はねんねが呑むのだから」と、上の子が自発的に乳をやめる様子は、現代の「卒乳」のコンセプトに通じるものがあり、大変興味深い。
 ごく数百年前の江戸時代の授乳・離乳の在り方を知ることで、ストレスフルな現代の授乳・離乳を新たな視点から捉え直すことができる。江戸時代には「母乳」という言葉は存在せず、乳であれば実母のものでなくとも構わなかったという指摘は、衝撃であった。物質的にはずっと豊かでありながらも、さまざまな「べき論」に縛られた現代の私たちは、そうした事実を知ることで、いくらか肩の荷がおりて、よりしなやかな考え方ができるようになるかもしれない。

週刊読書人
2017年3月3日号(第3179号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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