尾形真理子は雑誌『広告』の制作を振り返りながら雑誌の「雑」について自分なりの答えを見つける

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尾形真理子は雑誌『広告』の制作を振り返りながら雑誌の「雑」について自分なりの答えを見つける

[レビュアー] 尾形真理子(コピーライター)

尾形真理子
尾形真理子

 2年ほど前に雑誌を作ることになったと、こちらの誌面で書かせていただきました。博報堂が刊行する『広告』の編集長になったからです。コピーライターという肩書きでしか働いたことのないド素人が雑誌を8冊作る。そんな暴挙を2年に亘ってやってまいりました。
 どれどれ。あの頃のわたしはどんな決意表明をしていたのかな? 雑誌の「雑」には、おそらく「寛容」という意味も含まれています。雑多を内包する懐の深さがあります。雑多というのは、言い換えれば多様性で、息苦しさとは無縁のもの。Magazineの語源は、どうやらアラビア語の「倉庫」らしく、なるほど納得しました。物置きをひっくり返すと思わぬものに出会えるように、『広告』という倉庫に、どんなものが入れられるのか(以下略)『ケトルVOL.23より』
 うーん。決意なんてどこにも書いてない。それどころか、自分でも何を言っているのかよくわからない。どれだけ混乱した状況下でスタートしていたのか、思い出すだけでも恥ずかしくなります。ただ、この意味のわからない文章の中に出てくる「寛容」「多様性」「思わぬ出会い」という3つのキーワードは、編集長の任期中、ずっと心の中にあったものでした。

雑誌「広告」
「広告」2016年8月号 70年と1歩

 せっかく畑違いの雑誌をやるのだから、『広告』というタイトルであっても「Advertising」から離れて、「いま、広く告げたいことってなんだろう?」を考えたいと思ってきました。「いたずら心」だったり、「大衆の怒り」だったり、「母性の社会化」「戦後の引き継ぎ」など、そこに明確な答えがないテーマゆえ、己の限界を晒す苦行に身を投じる日々でした(編集部の仲間たち、道連れにしてごめんなさい)。
「雑誌を作ってこんなことを学んだ!」と言えるノリシロはまったくありませんが、わたしの中での小さな気づきをひとつ。それは「雑」というのは「かけら」であるということ。完璧・完全・完成という確かなものに、わたしたちは魅了されがちです。わたしも仕事をしている時など、どこかで決定的なものを求める傾向がありました。ですがよくよく見てみると、どんな「完」であっても、時間とともに様子を変えていくんです。すべての物事は時の流れの中で、「かけら」がうごめき、いったりきたりを繰り返しながら進んでいく。
 いろんな「かけら」が集まって人格はできているのだと思うし、ひとりの人間は社会の「かけら」とも言えるし、いま生きている時代だって、過去と未来に挟まれたひとつの「かけら」です。その「かけら」は3次元でつながっている。「すべては、かけらなんだ~」って実感した瞬間、なんだか世界が広がった気がしました。あと、気が楽になりました。
 どんな「かけら」を集めるかによって、そこから浮かび上がる輪郭線が、まったく違ってくる雑誌。読んでいただいた方々の「かけら」となるものがあったかどうか。わたしの任期は終わりますが、雑誌を作り続けている嶋さんには脱帽です。

太田出版 ケトル
VOL.33 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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