佐藤優は『プラハの墓場』からヨーロッパに根強く残る人種主義の危険性を読み解く

レビュー

7
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プラハの墓地

『プラハの墓地』

著者
ウンベルト・エーコ [著]/橋本勝雄 [訳]
出版社
東京創元社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784488010515
発売日
2016/02/21
価格
3,780円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

佐藤優は『プラハの墓場』からヨーロッパに根強く残る人種主義の危険性を読み解く

[レビュアー] 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

佐藤優
佐藤優

 イタリアの哲学者で小説家のウンベルト・エーコ(1932~2016年)が、2010年に公刊した小説だ。シモーネ・シモニーニという偽文書作りを生業とする架空の主人公以外は、ほとんど歴史に実在した人物とそのテキストによって構成されたユニークな小説だ。大きな筋としては、反ユダヤ主義の偽造文書「シオンの長老たちの議定書」が形成される過程を軸に、ヨーロッパとロシアにおけるナショナリズムと反ユダヤ主義の相互関係について考察する。本書を読むとヨーロッパとロシアにおける反ユダヤ主義の根の深さがよくわかる。特に興味深いのがドストエフスキーの反ユダヤ主義に関する部分だ。
〈ジュリエット・アダンはユダヤ人たちに対する敵意を隠していなかった。シモニーニはある晩、ドストエフスキーというロシア人作家の文章を採り上げた公開読書会に出席した。この作家が、シモニーニが出会ったブラフマンが大カハールについて述べていたことを利用していたのは明らかだった。/「ドストエフスキーによれば、ユダヤ人は何度も自分たちの領地と政治的独立、法律、さらにはほとんど信仰まで失いながらつねに生き延びて、ますます固く団結しています。とても生命力にあふれ驚くほど強靭でエネルギッシュであるユダヤ人にしても、既存の諸国家の上にあるひとつの国家を持たずには、このような抵抗はできなかっただろうということです。〈国家の内部の国家〉(ルビ:スタートウス・イン・スタートウ)を彼らはどこでもつねに築いてきました。たとえ、どれほど恐ろしい迫害の時代でも、生活している土地の民族から孤立し、自分たちを切り離して交わることなく、根本原則に従ってきたのです。『地球全体に散らばっても、問題はない。すべての約束が果たされると信じて、生き延び、軽蔑し、団結し、搾取し、そしてひたすら待機せよ……』」/「このドストエフスキーのレトリックは見事だ」とトゥスネルが意見を述べた。「ユダヤ人に対する同情、 共感、あえて言えば尊敬を公言して話を始める様子を見るがいい。『私もユダヤ人の敵だろうか? 私がこんな不幸な人種の敵であり得るだろうか? とんでもない、道義心と正義が命じること、人間とキリスト教の法が要請すること、そうしたことすべてをユダヤ人のためにすべきだと私は主張して書いている……』素晴らしい前置きだ。しかし、そのあとで、この不幸な人種がどのようにキリスト教世界の破域をもくろんでいるかを明らかにしている。見事な論の進め方だ。〉
 ドストエフスキーの文体は多声的だ。ユダヤ人を肯定的に評価し、賞賛していても、その行間から「この狡猾な連中に気をつけろ」という別の声が聞こえてくる。現在、過激派「イスラム国」のテロにヨーロッパは怯えているが、イスラム教に対する敵意が、反ユダヤ主義に転移する危険性は十分にある。なぜなら、反イスラム感情には、中東のセム人(アラブ人、ユダヤ人)はヨーロッパ人と異なるという人種主義が潜んでいるからだ。これからヨーロッパで起きることを深い位相で理解するためにも本書は必読だ。

太田出版 ケトル
VOL.33 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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