文月悠光は『風にいろをつけたひとだれ』を読んで言葉に込められた湖のような静けさを感じる

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文月悠光は『風にいろをつけたひとだれ』を読んで言葉に込められた湖のような静けさを感じる

[レビュアー] 文月悠光(詩人)

文月悠光
文月悠光

 この秋、初エッセイ集『洗礼ダイアリー』をポプラ社より上梓した。〈詩人という名の無職〉になり、駅のジューススタンドでアルバイトを始めたこと、詩人という肩書きのせいで「恋愛すれば?」と無闇に言われてしまうこと、スクールカーストに悩んだ高校時代の回想など、滑稽で不器用な〈洗礼〉を凝縮した一冊だ。
『洗礼ダイアリー』の連載が佳境に入った頃、新宿のバーで知人から手渡されたのが、岸田衿子のエッセイ集『風にいろをつけたひとだれ』だった。安野光雅の装画と、重厚なたたずまいの組み合わせが印象的な本である。
「この本を読んでいたら、文月さんのエッセイを思い出した。すごく似てる気がする」。
 戸惑った。他の作家の文章に「似てる」と言われたことは多々あるが、本当に似ていた試しなどない。
 半信半疑で一篇目「雪の上の足跡」の冒頭を読み始めると、ぱっと気持ちが明るくなった。語尾のリズムが心地よく、スーッと頭へ染み透っていく。水のような文章だ。
〈この辺の人は、音もなく降って、次の日たくさん積る雪のことを、「もくもく降る」という。さらさら、音を立てて降る雪は、水が交っていて、溶けるのが早い。もくもく降る程の雪は、降ったりやんだりして、二、三日続くことがある。そんな日のあと、久しぶりのお天気で、長靴をはいて、外へ出てみると、膝が、がくがくする程走りたくなってくる。その気持をおさえて、一歩一歩歩き出す〉。
 感傷は排され、淡々と状況を語り伝える。それゆえに、あっさりと終わってしまう話もある。だが、素朴で味わい深く、エピソードの続きを、一つ一つ想像させてくれる。
 岸田衿子は詩人。「谷川俊太郎や田村隆一の元奥さん」として語られがちな彼女だが、「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」のテーマ曲の作詞者と聞けば、ピンとくる人も多いはず。初版は一九七七年刊、一九九〇年に新版が出て、現在は絶版のようだが、古書で安く手に入るだろう。
 八月の終わり頃、ウェブマガジン「cakes」の連載エッセイがS​N​Sで拡散され、膨大な量の感想がタイムラインに流れ込んだ。記事に反応があるのは喜ばしいこと。でも、自分の見たかった光景ってこういうものだろうか、と通知欄を前に呆然としてしまった。
 女性のエッセイには、赤裸々さや、強い個性が求められる。「どこまでさらけ出せるか」を競わされているようで、書き手はときに息苦しい。けれど、岸田衿子のエッセイは、湖のような静けさを保つ。人々の顔、動物たちの足取り、木々の立ち姿、雪の一片をまっすぐに見つめ、言葉で揺るぎなく受けとめるのだ。
『洗礼ダイアリー』のカバーには、正に「雪の上の足跡」がカシワイさんの手で描かれている。絵の中の少女は、雪の足跡から飛び去っていく黄色い蝶を一人見送っている。
 近頃「エッセイストになるの?」と尋ねられる。「そんなのわからない」と本心から私は答える。ただ雪の上、自分の足跡を確かめながら、この先へ一歩一歩あるき出す。

太田出版 ケトル
VOL.33 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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