『素敵な日本人』3月30日刊行! 今の日本のアレコレを、東野圭吾はどう「料理」する?

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

素敵な日本人 : 東野圭吾短編集

『素敵な日本人 : 東野圭吾短編集』

著者
東野, 圭吾, 1958-
出版社
光文社
ISBN
9784334911515
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

『素敵な日本人』3月30日刊行! 今の日本のアレコレを、東野圭吾はどう「料理」する?

[レビュアー] 高梨佳苗(元・担当編集者)

現役作家の小説を「新刊で」読む楽しみは何でしょうか?

だって、高いですよね、単行本。よほどの「楽しみ」がないと、フツー買わないですよね。「都心に暮らす編集者」という身分でなくなって一番に痛感したことは「本、高い」「そもそも地方の本屋さんで単行本ほとんど売ってない」という事実でした。

 それでも私は新刊を読みたくてしかたないので、毎月、数冊を買って読みます。何が面白いのか。なぜ楽しいのか。

 その一つは「この時代ならではの材料を、作家たちが思わぬ料理にしてくれる」ことかもしれません。

 たとえば本作なら。「レンタルベビー」は、少し前に話題になった「レンタル彼氏」や結婚式に出席してもらう「レンタル家族」などを派遣するサービスが背景にありそうです。

 この人材レンタルサービスについては、特に昨年、多くの映画や小説、マンガの「材料」となっていました。けれど、その扱いかたはさまざま。現代の人間関係の希薄さを繊細に描く作品もあれば、ミステリもありました。そして東野さんの手にかかれば、ブラックユーモア溢れるSFに。

 本作にちりばめられた「婚活」「格差」「医療技術の進歩と倫理」「旧態依然の組織」などのトピックも同様です。なるほどこの作者はこんな料理のしかたをするのか。こんな考えかたもあるのか。同じ材料だからこそ、作者による解釈の違いを楽しめる。そしてその材料は、今の社会で誰もが「知っている」「気になっている」ものであり、現役の作家だからこそ捉えられるものです。

 誰かがお膳立てしたわけでもない、まるで自然発生的な「競作」のよう――そんな楽しみが、新刊小説にはあると思うのです。

 本作は、まさにそういった「時代性」と「作家ならではの料理のしかた」を存分に堪能できる短編集です。しかも、書き手はエンタテインメントを熟知した東野さん。面白くないはずがない。

 出される「料理」は、老舗の風格たっぷりの一皿から鮮やかな驚きで魅せるフュージョン料理、究極のB級グルメまで色とりどりです。

「B級グルメとは失礼な!」と怒られそうですが、個人的には、この「B級グルメ」こそが東野さんの短編のキモだと思っています。なぜB級グルメかというと、誰でも気軽にトライできて、なおかつ満足度が高くて、しかもつい笑ってしまうから。

 特に小説で「笑わせる」というのは簡単なようで難しいものです。私は新人賞の応募原稿を読む仕事もしていますが、ギャグを狙って成功している作品は本当に少ないです。かつて東野さんご自身も「泣かせたり感動させたりするほうがずっと簡単」とおっしゃっていました。

「正月の決意」はその点、日本ならではのバカバカしい権威主義、しょうもない(けれど多くの人が身に覚えのある)じじい達のありさまが本当に笑えます。東野さんは『歪笑小説』や『名探偵の掟』など笑いを追求した短編もたくさん書いておられるので、「今回もバカバカしさが加速しているなぁ」と安心して笑ってしまいました。

 ところが、この短編は「気軽」「笑える」「うまい」で終わりません。よもやこのバカバカしいストーリーで涙することになるとは……! という驚きがラスト三ページに用意してあるのです。冷笑したはずの「バカバカしい権威主義」が、巡り巡って誰かを「救う」ことになっている――自虐や皮肉が強烈に利いた巧みなストーリーを楽しんで、ふと気づいたら丼の底にあたたかい「光」を見つけた。そんな感じでしょうか。

 この厚み、意外性は、幅広い作品を(しかも高いレベルで)書き続けてきた東野さんならでは。だからこそ「究極の」B級グルメなんだと、勝手に思っています。

 少し話は逸れますが、もう一篇「今夜は一人で雛祭り」についても、ご紹介したいエピソードが。「編集者をしている娘が嫁入りする、それも東北の名家に!」という、あるお父さんの心境を追った短編です。

 実はこの作品、当時担当編集者だった、私の結婚話がモチーフなのです。じっさい、私は結婚と出産を機に退職して一時期東京を離れました。

 ただし、モチーフにされたことは事後報告。しかも作品は途中まで「おいおい、これは義理の両親には見せられないぞ」という不穏な展開。東野さんには結婚式にもご出席いただいたのに、なんという裏切り!

 ……とはなりませんでした。お察しのとおり、ラストで鮮やかに裏切られます。

 私がペーペーの新米編集者時代から担当させてもらっていた東野さんには、小説のことや社会のこと、時にはスノーボードや物理のキホンまで、本当にたくさんのことを教えてもらいました。

 もはや第二のお父さんのような存在です。

 以前、飲み屋でそうお話ししたら「オレはそんな年か!」と相当ショックを受け(そして若干機嫌を損ね)ておられたので以後封印しましたが、この短編を読むと、あの結婚話をしたとき東野さんはやっぱり「お父さん」の身になっていろいろ心配してくれていたのかな……と嬉しいような恥ずかしいような。勝手に「娘」の気持ちになりました。

 直接お伝えするとまた「そんな年か!」と言われそうなので、ここにこっそり書いておきます。

 元担当編集者のレビューというのも珍しいと思うので、このさい少々暴露もしておきますと、東野さんはたまに実在の人物をモチーフにしたキャラクターを作品に登場させます。前出の「笑い」を追求した作品群に多いかもしれません。

 ただし「モデルにした」などという生ぬるいものではありません。実在の人物をこれでもかとデフォルメしつつ過去の自分を自虐的に組み込むなどして、強烈なキャラになっています。

『歪笑小説』の原稿をいただいていたときには、文壇ネタだったこともあり身近な人がモチーフで「あの人、ただのオジサンだと思っていたけどこんなに面白くなる可能性があったんだ……私はまだ彼の潜在能力を引き出せていなかった!」と作品から気づかされたことも。東野さんの手にかかれば、どんなにフツーの人でも魅力的なキャラになるのでは、とさえ思えてきます。

 本作で扱われている「日本的な慣習」や「定例化したイベント」もそうですが、なんてことない日常からとんでもないドラマの「タネ」を発見し巧みに料理してしまう、東野さんのすごさが垣間見えるエピソードではないでしょうか。

 このように東野作品の魅力は多岐にわたりますが、私が好きな系統の一つに「親の想い」を軸にした作品があります。たとえば『秘密』『時生』『カッコウの卵は誰のもの』『麒麟の翼』などなど。傑作揃いですが、これらはストーリーが面白いだけでなく、すべてが明るみに出たあともなおグッと心をつかんでくる親たちの「想い」がある。そこに泣かされてしまうのです。

 そしてこの度、そんな〈親子もの〉の系譜に自分がモチーフとなった短編が加わる。感無量です。

「今夜は一人で雛祭り」の娘のように奥ゆかしくも凜々しい生きざまとはほど遠く、いまだ文芸編集への未練たらたら、家族をはじめほうぼうに衝突しながら生きる道を模索しているのが現実ですが、この短編が生まれただけでも一連の苦労(をかけられた周囲の皆さん)が報われるというもの。「今夜は~」のお父さんのように、今夜はこの素敵な「料理」を肴に、ひとり缶ビールで祝杯を上げたい気分です。

 そして、同じように結婚やら仕事やら人間関係やらが気になっているこの時代の誰かが、この短編集と出合い、どこかで一緒に「なるほど」「そうきたか」と、ビール片手に楽しんでいてくれたらもっともっと嬉しいな、と思っています。

光文社 小説宝石
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク