『楽譜と旅する男』と旅して――『楽譜と旅する男』刊行エッセイ 芦辺拓

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楽譜と旅する男

『楽譜と旅する男』

著者
芦辺拓 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334911560
発売日
2017/03/15
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『楽譜と旅する男』と旅して――『楽譜と旅する男』刊行エッセイ 芦辺拓

[レビュアー] 芦辺拓

私が常に携行しているネタ帳兼何でもスクラップなモレスキン・ノートによれば二〇一五年五月二十八日、池袋のいまだ昭和が続いているような喫茶店で、新たなシリーズのための会合が持たれました。出席者は私、担当編集S氏に加え、私と浅からぬ縁のあるピアニストF女史。そのときすでに『奇譚を売る店』に次ぐ連作のテーマは「音楽」と決まっており、そのための知恵袋として招かれたものでした。

 私はといえば、通しタイトルこそ大乱歩の名作から思いついたものの、目に一丁字ならぬ一丁音符もない身としては、さっぱり自信がありませんでした。で、その期(ご)に及んでも往生際悪く別のテーマへ逃れようとしたのですが、さる理由からF女史にはブザマな姿を見せるわけにいかず、彼女を顔ぶれに加えた担当S氏の計略はまんまと当たったようでした。

 かくして、二〇一六年十一月四日午前十一時四分に最後の一編を書き上げるまで、一年五か月と七日の旅が始まったわけですが、それは実に不思議なものとなりました。『奇譚』では、ミステリを書いているときにはあまり触れない私的な思い出や体験、友人たちまでがヒョイヒョイと登場して驚いたのですが、古本および古本屋というおなじみの領域に比べれば、今回はまるで知らない、知らなすぎる世界です。

 そこに足を踏み入れ、自分だけの物語を創り出そうとした結果は、私の乏しい異国体験を掘り返し、書けども書けども見慣れた人や事物など一行たりとも登場しない各編となりました。作者にすら実体を現わそうとしない“楽譜と旅する男”を追いかけ、ふとあたりを見回せば、戦争や動乱、虐殺など歴史の変転に翻弄された人々の姿があったのです。

 とかく一つ所に安住しがちな私という作家には、思いがけない新境地となりました。読者のみなさんにとってもこの“旅”が数奇で楽しいものであるよう、今は願うばかりです。

光文社 小説宝石
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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