『騎士団長殺し 第1部・第2部』 村上春樹著

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騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編

『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』

著者
村上 春樹 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103534327
発売日
2017/02/24
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編

『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』

著者
村上 春樹 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103534334
発売日
2017/02/24
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『騎士団長殺し 第1部・第2部』 村上春樹著

[レビュアー] 三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師)/柳川範之(経済学者・東京大学教授)

自分探しと他者への愛

 妻に離別を言い渡された36歳の肖像画家の男が東北をさ迷い、たまたま高名な老画家の持つ小田原郊外の別荘で暮らすことになる。村上小説は都会的で日本の風土や匂いは感じられないと言われてきた。そんな村上さんが画家の仕事の細部までを取材し、東北や小田原といった日本の土地柄を感じさせられるような小説を書いた。

 主人公が自分と距離のある世界に穴を穿(うが)ち、トンネルをくぐって真の自分探しをする、という過去の作品にも見られた主題を本作もなぞっている。その上に、様々なモチーフが乗せられている。身近にいた妻への無理解、妹の早世、何かを失うことそのものへの恐怖、自らの裡(うち)に潜む悪、パーソナルな視角から捉えた「過去の歴史の清算」などだ。

 世界と自分との距離や、人間の暴力性、ダークサイドを語る際に用いられる仕掛けは、『1Q84』ほど大きなスケールではないものの、不思議だ。突然現れて主人公を驚かす騎士団長という「導き手」がそれである。主人公は騎士団長に導かれて自分の本質を探すが、同時に自分をいったん捨てた妻を理解しようと努力する。身近な女性を自分勝手に解釈し満足して生きてきた主人公(異性に対しては誰しもそういうことをしがちだ)が、一人の女性の本質を知ろうとすることは進歩だ。少なくとも村上さんのこれまでの本よりも女性に近づいている気がした。

 村上小説は、自分が共感できないマイホーム的家族観やナショナリズムといった、お決まりの大きな「物語」に従って生きることを否定している。だがそれは、先進国の個人主義的な都会人が、もはや語ろうと思っても語るべき「物語」を持ち合わせないということでもある。そんな世界において、仮に物語を紡ぐ可能性があるとすれば、「輪廻(りんね)転生」なのかもしれない。騎士団長の殺人劇を模倣する歴史の再現、出産。人類が繰り返す「劇」の輪の中に主人公も我々も生きている。村上さんはそこを捉まえて物語を紡ぎ、輪廻転生の輪の中に捕らわれて生きる者同士として、他者を愛するきっかけを見出(みいだ)したのだ。

読み方で変わる多義性

 やっぱり面白い。面白くてそして深い物語が紡ぎ出されている。

 主人公は36歳の肖像画家だが、妻から別れを切りだされて小田原郊外に住み始める。そこに免色(めんしき)なる少し変わった人物が現われ、そして不思議な出来事が起き始める。と、書いてもおそらく話の全貌はほとんど伝わらないだろう。

 物語は当然のように思いがけない展開を見せていく。壁だと思っていたものが、いつの間にか薄いカーテンに変わっているかのように、現実社会にするっと不思議な空間が現れたり、いつの間にか異空間に変わっていたりする。「こちら」と「あちら」の境目が、極めてあいまいなことが自然と示される、円熟の技だ。

 主人公の「私」は、絵を描くことについて多くを語る。著者と単純に重ね合わせては本来いけないのだろうが、どうしても著者の創作姿勢や書くことの意味や難しさ、そしてこの書き下ろしの大著をどんな思いで創りあげたのかを、そこから読みとってしまう。

 本作では、過去の村上作品に登場したモチーフ、たとえば深い穴等(など)もいくつか登場する。が、これは著者があえてとった手法のように思える。同じものが提示されているように見えて、実はそこから導かれるものは同じではない。それぞれによって違う見方が可能で、見方によって世界は違って見えることを、それによって示したかったのではないか。

 小説全体についても同様だ。表面的なストーリーを追うことももちろん可能だが、多くの会話やエピソードが、読み方によってまったく異なった意味合いも持ち得るように作られている。極めて多義的で多層的な物語が意図的に構築されているのではないだろうか。

 読み手の価値観や見方を反映して、違ったものが見えるよう仕組まれているというべきか。それぞれの読み方によって、それぞれの世界が味わえる。不思議で奥の深い物語だ。

 ◇むらかみ・はるき=1949年、京都市生まれ。作家。主な著書に『ノルウェイの森』『1Q84』など。海外でも評価が高い。

 新潮社 各1800円

読売新聞
2017年3月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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