選択しないという選択――既に中立的な立場などない

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選択しないという選択

『選択しないという選択』

著者
キャス・サンスティーン [著]/伊達尚美 [訳]
出版社
勁草書房
ISBN
9784326550777
発売日
2017/01/28
価格
2,970円(税込)

既に価値判断がなされたこの世界で「選ぶ」ことの意味

[レビュアー] 西田藍(アイドル/ライター)

 あらかじめ全てが選択されている。個人に選択の自由はないが、幸福だとされている。そんな未来世界はユートピアであり、ディストピアである。『すばらしい新世界』や『未来世紀ブラジル』など、挙げればキリがない。

 個人が自由に望んだ選択ができる。それこそあるべき世界だ。そうSF作品は教えてくれる。だが、選択肢があればあるほど自由だともいえない。

 たとえば、選択しないために私たちは情報を買っている。この書評欄だってそうだ。週刊新潮の書評欄を読むか読まないか、あらかじめ選択してから購入しなくてはならなかったら? わざわざ意識したくない、というのが本音だろう。読まないかもしれないが、読むかもしれない。雑誌は、ひとつひとつのコンテンツを読者が購入するか否か選ばなくていい自由を与えてくれる。

 本書では、人間の行動の実例、デフォルト・ルールの力などを説明し、リバタリアニズムとパターナリズムを両立させることは可能だと主張している。制約や強制ではなく、柔らかく人を押しやる「ナッジ」がその答えだと言うのだ。そして、「選択しないという選択」にも、選択としての価値があるのだという。問題は、誰に選択を委ねるか、だ。

 社会統治において、選択者であり続けたいか?との問に、私はイエスと答えるだろう。しかし、一から全てを選びたいか?と問われたら、恐怖に足がすくむ。名前から仕事から全てを剥奪されて、一から選べと言われたら、多分、元に戻してと願うだろう。それがベストだとは限らないのに。

「デフォルト」はそれ自体、人間に大きな力を及ぼす。自由を保持するために何を選択することを選択すべきか。既に中立的な場所などないと著者は言う。我々はもう、何らかの価値判断をされた世界で生活している。何もしないことは、決して中立ではなく、現状の強化に過ぎない。デフォルトをどう選び、委ねるかに、現代人の選択と自由があるのだ。

新潮社 週刊新潮
2017年3月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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