【文庫双六】動物小説と言えば変身譚の名作が…――野崎歓

レビュー

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

狐になった奥様

『狐になった奥様』

著者
Garnett, David [著]/安藤 貞雄 [訳]/ガーネット [著]
出版社
岩波書店
ISBN
9784003229712
価格
518円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

【文庫双六】動物小説と言えば変身譚の名作が…――野崎歓

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

 西村寿行の動物小説は、北上次郎さんによれば「人間と動物はついにわかりあえないという断念を基調としている」。それに対し、両者の隔たりをあっさり超えて人間が動物になってしまうという異常事態を描く名作もいろいろと存在する。

 なかでも『狐になった奥様』は、素っ頓狂で唐突な変身ぶりが実にチャーミングで胸を打つ。新婚ほやほやの可愛い奥さんが、夫と散歩している最中にいきなり、赤毛の狐になってしまう。「そこで、ものの半時間というもの、二人は、ただもう目を瞠って顔を見交わしてばかりいた」。でもそうなっちゃったんだから仕方がない。夫の妻への愛は変わりようもなく、狐になった妻をいつくしみ、二人きりで屋敷にとじこもって暮す。周囲からは気が変になったんだとうわさされながら。

 つらいのは、奥さんがだんだん野生に近づいていくことである。最初は「短い化粧着」など着せてもらっていたのが、それをいやがって“裸”で暮らすようになる。夕食のチキンを骨ごとかみ砕くようになる。やがては屋敷から外に出たいと暴れ出す。外に出たら狐狩りの猟師たちに狙われるかもしれないのに。

 妻の変化に動転しながら夫は純愛を貫こうとする。ほとんど『マノン・レスコー』的ファム・ファタル小説なのである。失踪していた妻が戻り、誇らしげに“子どもたち”を見せるところなど感動的な名場面だ。

 超自然的な事件というのは、しばらく全然起きないこともあれば次々に押し寄せることもあると作者は冒頭で述べている。そこで思うのは、この作品の7年前にカフカの『変身』が出ているという事実。ガーネットは知らなかっただろう。そして中勘助の異形の傑作『犬』(男女が「狐色」の牡犬と牝犬に転生する)の初出は、奇しくもガーネット作品と同じ1922年だ!

 作家たちが変身譚の名作を互いに知らずして競作するという世界文学史上の不思議な事件が、この時期、出来していたのである。

新潮社 週刊新潮
2017年3月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加