書物であり、劇場としての街/多和田葉子『百年の散歩』刊行記念特集

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百年の散歩

『百年の散歩』

著者
多和田, 葉子, 1960-
出版社
新潮社
ISBN
9784104361052
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

書物であり、劇場としての街/多和田葉子『百年の散歩』刊行記念特集

[レビュアー] 松永美穂(ドイツ文学者・翻訳家)

 時空を軽やかに越えつつベルリンの街路をめぐり、心ときめき言葉が飛翔する。楽しくて、少し切なくもある街歩きの書。『百年の散歩』というタイトルには、百年前のベルリンで暮らしていた思想家のヴァルター・ベンヤミンをはじめ、さまざまな作家や芸術家たちへのオマージュも含まれているだろう。ベルリン生まれのベンヤミンは、「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」というテクストのなかで、記憶に残るベルリンのスポットを思い出とともに再現している。パリのパサージュ論や、「都市の肖像」を描くエッセイも記している彼は、「街」というものの知的な観察者であり、熟練した散歩人だった。散歩、さらに優雅に言えば逍遥、ドイツ語ではFlanieren(ぶらぶら歩き)。目的地へと急ぐのではなく、あえてゆっくりと歩いて回ることで、見えてくるものがある。眼前の風景と記憶のなかのイメージをつなぎ合わせていくうちに、独自の都市像が浮かび上がってくる。

 多和田葉子にも、『溶ける街 透ける路』という旅のエッセイ集や、移動の連続から生まれた『容疑者の夜行列車』『アメリカ 非道の大陸』などの実験的な二人称小説がある。母語の外側に出る経験が綴られた『エクソフォニー』では、第一部の章タイトルは訪れた土地の名前だし、そうそう、『旅をする裸の眼』という小説もあった。まさに旅をしつつ、見つつ、言葉を紡いでいく、移動の達人なのだ。本書ではそんな多和田が、十年前から暮らすベルリンの街を、彼女にしかできないやり方で透視し、じっくり描写してみせる。

 ドイツ帝国の首都として繁栄し、ナチ政権下で暗黒の日々を体験し、空襲で破壊され、戦後は壁によって分断され……ベルリンが抱える歴史は重い。東西統一から四半世紀を経たいまも、街のそこかしこに歴史の爪痕を見ることができる。記憶を風化させまいとする取り組みもある。ホロコースト警告碑、ユダヤ博物館、壁博物館、街の随所に見られる「躓きの石」(戦争犯罪の犠牲者の名が刻まれている)、標識の下の短い解説、建物にはめ込まれたプレートなど。なかったことにはできない過去と、街の現在が、常に対峙させられている。通りや広場の名に残る人名も、歴史の記憶を伝え続けている。ベルリンに何千とある通り、その多くにつけられた死者の名……。死者の名が連呼され、住所に記される。たとえば筆者は以前、ベルリンのハンス・オットー通りに住んでいた。ある日、ナチに関する展示を見て、それがナチへの抵抗運動に参加し三十三歳で拷問死した俳優の名であることを知った。

 しかし本書は、単に歴史を振り返る本ではない。現在のベルリンの、多国籍の住民に彩られ多言語が飛び交う日常の情景が、鮮やかに浮かんでくる。語り手の「わたし」は旧西ベルリン、旧東ベルリン、どちらの地域も歩き回る。この街歩きがちょっと切ないのは、「あの人」が不在だからだ。「カント通り」と題された最初の章の冒頭で、「わたし」は「黒い奇異茶店、喫茶店」で「その人」を待っている。そもそも出だしが「奇異」な「茶店」。ベルリンの繁華街に近く、さまざまな人が腰を下ろしているその喫茶店に、待ち人は現れない。その後、全部で十の章が綴られていくなかで、「あの人」は絶えず想起され、言及されるが、「わたし」がいまいる街区で二人が合流することはけっしてない。「あの人」はベルリンの西部に住んでいるらしく、街の東部にそれほど強い関心はなく、わりと保守的で変化は好まず、合理的で、将来住むならスイス、と考えている。恋する少女のように語り手は「あの人」「あの人」と連発するけれど、男か女かもわからない「あの人」との関係は時間を経るに従って変化し、最初の章の弾むような言葉遊びのトーンも沈んでいく。「あの人」の幻影に伴われた「わたし」の街歩きは、やがて意外な結末を迎える……。

 目次には通りや広場のドイツ語名も出ているから、ちょっとググってみるという楽しみ方もある。画像がたくさん出てきて、日本にいながらにして街の様子が垣間見えるかもしれない。たとえばカール・マルクス通り。なんとこの通りは、旧西ベルリンのノイケルン地区にある! 冷戦時代も、そしていまも、この名前が保存されていることにベルリンの懐の深さを感じる。

 街は大きな書物であり、大きな劇場だ。そこで何を見出すかは、道行く人の心眼に委ねられている。本書は多和田葉子がとらえたベルリンとそこに住む人々の、まったく新しい肖像画である。

新潮社 波
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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