民主主義(デモクラシー)の曲がり角で、今 〈対談〉水島治郎『ポピュリズムとは何か』×宇野重規『保守主義とは何か』

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ポピュリズムとは何か

『ポピュリズムとは何か』

著者
水島 治郎 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784121024107
発売日
2016/12/19
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

保守主義とは何か

『保守主義とは何か』

著者
宇野 重規 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784121023780
発売日
2016/06/22
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

民主主義(デモクラシー)の曲がり角で、今 〈対談〉水島治郎『ポピュリズムとは何か』×宇野重規『保守主義とは何か』

二十一世紀型デモクラシーを模索する

 宇野 現在、保守主義が優勢な状態が続いていることを、私は逆手に取ろうと思っています。未来像に向かって人々が結集するのは難しい時代ですから、進歩よりまず、具体的に守るべきものを明確にしてみないか、と。
 水島 映画「君の名は。」をご覧になりましたか? 僕はこの映画が、ある意味で、日本を考える重要なヒントを与えてくれていると思うんです。舞台は煌めく大都市と過疎に悩む地方で、二つの土地に住む男女の心と体が入れ替わることで、街と町が繋がっていく。そして繋がった心が、最終的に町を守る。
 宇野 映画といえば「シン・ゴジラ」も話題になりましたよね。外からゴジラという敵がきて、国内が始めは危機的な状況になるけれど、最後には官僚のエリート路線からあぶれているような人たちが結集して、事態を解決していく。それはある種、現代の日本人の幻想なのかもしれない。
 水島 「シン・ゴジラ」も「君の名は。」も、キーワードは「守る」ですよね。
 宇野 確かにそうですね。今の時代は、何かを守りたいという思いを活動エネルギーにしないと、人を動かす物語にはならないのかもしれませんね。「この世界の片隅に」も含めて、日本人が守りたいものは何ですか、という模索のかたちが表われている気がする。どれもきれいな結論は出ていませんが、この問いから始めるしかないのだと思います。
 水島 国内のメディアにしても既成政党にしても、従来の在り方をそのまま続けていては、未来はないですよね。ただ二〇世紀的なものを捨てさるべきかというと、そうとも言えない。例えば今、ラジオは若者層の視聴者が増えています。インターネットやスマホを見ながら、ラジオを聴くというスタイル。そのように現代的な皮袋に放り込むことで、再編し生き延びるものがあるかもしれない。政党や既存メディアが再び個々人と繋がる手段も、ポピュリズムの功罪を若い人に発信する手立ても、保守すべきものを議論する手立ても、探ることはできるのではないかと。
 宇野 私は、日本のデモクラシーの今後について、三つのシナリオを考えています。一つは水島さんが一番いいシナリオとして描いているのと同じ、既成政党が自らの感度を高めて、現在の枠組みでは救えていない人々の思いを受け入れ、新たに人々の代表となるべく自己改革をするというもの。既存の政治システムのバージョンアップの可能性が一つ。
 二つ目は、ネット上か、草の根運動か分かりませんが、人々の民意をもう一度集約する仕組みが、既存の政党の外部に発展するというもの。ヨーロッパの左右のポピュリズムが活性化させた、新しい直接民主主義なのか、より洗練された代議制民主主義なのか。新しい回路の発展の可能性がもう一つ。
 三つ目は、人々がバラバラに砂粒化したまま、国家や世界が迷走し、行き着くところまで流動化していくという最悪の予見。
 日本は、世界の中では相対的には安定しているので、第三の選択肢には陥らないだろうとは思いますが、既存の政治制度が、時代や人々の晒されている現実に、柔軟に対応できているかというと、できていない。既成の外に新しい民主主義の仕組みが生まれているかといえば、今のところは把握できない。世界はもっとぶれていて、流動化へ向かうところが徐々に増えてくるように思うんです。
 水島 第三のシナリオは、ある意味では有力ですよね。二〇世紀型の社会では、国民国家からなる国際システムが、安定的に成り立っていたわけですが、今やWTOやEUといった国家を超える機構がある。かと思えば、国家の外にNGOやグローバル企業といった様々な主体が働いている。さらに国家の下で都市や地域が活性化し、スコットランドやカタルーニャでは独立に向けた動きもある。かつては国際社会の唯一の主体だと思われていた国家が上からも下からも掘り崩されている。こうした国民国家システムの揺らぎの中に、ISも生まれている。従来の国家を否定するという意味では、民族運動や地域の独立運動も、同じ根を持っていると思うんです。既に流動化はヨーロッパ各地で進んでいるけれど、ここで諦めてしまわずに、新しい秩序を生み出すべく、知恵を捻らねばなりませんね。
 宇野 一九七九年以降、サッチャー政権、レーガン政権が生まれ、新自由主義が始まり、中国では鄧小平の改革開放路線が加速化し、一方ではイランでホメイニ革命がおきて、イスラム化が強まった。この時期から始まる世界の変動が、二〇一六年に一周したように思います。グローバリズムと宗教復興、イギリスとアメリカ社会の大変革……この先、一気にグローバリズムが後退し、世界がバラバラになるとは思いません。ただグローバリズムの一周目のモデルには、もう限界が来ている。二周目のモデルはまだ見えないため、第一と第二のシナリオ、両にらみでやっていくしかない。
 私は、政党政治や議会制システムを前提に、その立て直しにそれぞれの国が責任を持ってほしいと思っています。今後、ロシア、インド、中国といった民主主義でない大国が、世界を引っ張っていくことになる。それを考えても、各国に、改めて民主的な政治制度の立て直しを、と言いたい。
 水島 人口から考えると、デモクラシーの国はまだ世界の一部に過ぎないとすれば、そこをどう捉えるかということも、我々政治学者が、分析できていないところですね。
 宇野 そうですね。ロシアや中国のような国が、世界の中心におさまるという意味で、近代の政治学が前提とした枠組みが崩れることを、織り込まなければならない。でも前提を放棄すべきかといえば、そうではなくて、この三世紀ぐらいの間に、近代西洋諸国が作り上げた自由民主主義のモデルを基礎に、バージョンアップを試みること。その立場を堅持したいと思っています。
 水島 今回、我々は『保守主義とは何か』『ポピュリズムとは何か』で、問題の洗い出しをしました。この二冊には、今後の方向性がいくつか暗示されていると思います。二十一世紀型のデモクラシーに、どんな仕組みがあり得るかを考えるのは、今後の課題ですね。
 宇野 二〇一五年は世界各地でテロが起こり、二〇一六年は大変動の年でした。二〇一七年が壊滅的な年だった、とならないように、民主主義の二周目モデルを、模索していきたいですね。

週刊読書人
2017年2月10日号(第3176号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク