優しさと励ましをこめて描く、それぞれの人生の決断。 寺地はるな・最新刊『今日のハチミツ、あしたの私』

レビュー

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今日のハチミツ、あしたの私

『今日のハチミツ、あしたの私』

著者
寺地 はるな [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413022
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

優しさと励ましをこめて描く、それぞれの人生の決断。

[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)

 傷ついた心がどのように再生していくか。その過程を描くのが非常に巧みだな、と毎回思わせる新人作家がいる。二〇一四年に『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞した寺地はるなである。
 たとえばその受賞作は、仕事も恋も失った女性が、雑貨店を経営する女性や周囲の人々との出会いによって少しずつ自分の力で立ち上がっていく話だった。新作『今日のハチミツ、あしたの私』の主人公が抱える事情はまたちょっと違う。ただ、人生の大きな転換点を迎えている点は同じだ。
 三十歳になる碧は、中学生の頃、学校でみんなに嫌われて死にたいほどつらくなり、食事を受け付けなくなった時期がある。その時、土手で偶然出会った女性がくれたのは、小さな蜂蜜の瓶だった。その人の「蜂蜜をもうひと匙足せば、たぶんあなたの明日は今日より良くなるから」という言葉が胸に刻まれ、その後食欲を取り戻して成長した碧は、今は飲食サービス業に従事している。一緒に暮らす恋人の安西は職に就いても長続きしない甲斐性なしだが、ある時彼が自分の実家に戻って家業を手伝うと言い出す。聞けば実は父親は地元で幅広く飲食店を展開しているやり手で、今は兄が経営を引き継いでいるという。結婚するつもりで会社まで辞めて、彼の故郷・朝埜市に向かった碧だったが、なんと安西の父は二人の結婚に反対、しかも碧を能無しの息子と同類と断じる。腹を立てた碧は「わたしは能無しではありません。撤回してください」と大胆発言。その発言を意地悪く面白がった安西の父は、能無しではない証明として、地代を滞納している蜂蜜園から金を回収してこい、と言い出す始末だ。
 蜂蜜園。蜜蜂を養い、蜂蜜を製造している場所である。そうして物語はタイトルに繋がっていく。碧が訪れたクロエ蜂蜜園を一人で営む黒江進は、やさぐれた生活を送る四十代の男で、碧のことを冷たくあしらう。安西の父への意地もあり、かつ蜂蜜への特別の思いもあった碧は、粘ったあげく、黒江に養蜂を教わり、そのレッスン料を黒江に払う代わりにその金を安西の父への返済金にすることを提案、黒江も断れなくなる。こうして彼女は、蜜蜂たちの奥深い世界へと足を踏み入れていく。地方都市の開発問題や地域問題も絡め、魅力的なキャラクターや美味しそうな蜂蜜料理を登場させつつ、テンポよく物語は進んでいく。
 もちろん、安西と碧の結婚は保留だ。それどころか、安西と一緒に実家の離れに住むことも許されず、彼女は格安のおんぼろアパートで独り暮らしせねばならなくなる。それでも蜂蜜園に通い、頑なだった黒江の心をほんの少しずつほぐし、さらには黒江と別れた妻の間にできた娘の面倒まで見るというバイタリティあふれた碧がたくましい。蜂蜜を使ったレシピを考案したり、近隣の人々と仲よくなったりと、どんな逆境でも生きていけるタイプだ。
 と、碧の強さを説明すると冒頭の「傷ついた心がどのように再生していくか」といった類の物語ではないと思われるかもしれない。でも碧自身も内心は人生計画がとん挫したこと、さらに自分をかばってくれないふがいない恋人に失望したことで傷ついているのは確かだ。そして、本作は実は、碧との出会いによって再生していく人々の話でもあるのだ。投げやりな状態になっていた黒江はもちろん、彼の娘、彼の元妻も、そして彼女の奮闘を見ている安西も変わっていく。ひょっとしたら安西の父も、ちょっと変わったんじゃないかと思わせる記述もある(ここらへんの著者の見せ方がまた心憎い)。
 最初はちょっぴり、碧と黒江が恋仲になったりして…? と邪推し、その次には黒江と元妻が元さやに納まることを碧がお膳立てするのか…? とさらに深く邪推してしまったが、そういえばこの著者は安易に男女の恋愛や結婚といった情に解決を求めたりしないという美点の持ち主だった。登場人物ひとりひとりの人生の決断をきちんと描いているからこそ、男も女もどの世代の人間も、まずは自分の足でちゃんと地面に立つことが大事だという気づきを与えてくれている。こうした小説を一冊読めば、たぶん明日の自分は今日より良くなっている。そう思わせてくれる、優しさと励ましの詰まった小説なのである。

角川春樹事務所 ランティエ
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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