『北村薫の創作表現講義』
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北村薫×宮部みゆき 対談「この面白さがわかれば、小説が書けます!」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開
創作表現を教えるということは?
北村 実際にどう教えるか、というのは難しい。わたしは、一般論としてのハウツーのようなことは全然やっていないんです。学生にショートショートを書かせて作者名を伏せてみんなで読んで批評する、ということをやっていましたが、その実践講義の方は、この本には収めていないんです。具体的なことは一般論では語れない。
宮部 いえいえ、この本は極めて具体的ですよ。北村先生が早稲田大で客員教授をなさった講義の講座名は何ですか。
北村 いけないなあ。はっきり覚えてない。「表現」の講座だったことは確かです。
宮部 創作表現、といっても、必ずしも小説を書きたい人だけが受講しているわけではないのですね。
北村 まあ大きく言ってしまえば、生きていることそのものが表現ですけどね。
宮部 それは、もちろん、そうですね。私は、いわゆるカルチャーセンターの創作講座出身ですから、そこではわかりやすい看板を掲げるんですよ。つまり「エッセイ講座」とか。大学の文学部では、どうなのかなというのが、まず、すごく気になったんです。
北村 それは教える人に任されているんです。何をどうやってもいい。期待されるのは個性ですから、マニュアルはないんです。自分が好きにやっていいということでした。
宮部 最初に具体的な方針をお立てになりましたか。
北村 最初はとにかく迷いました。極端にいえば、一時間に一人ずつ学生と面談して、ほかの学生は休講、という形だって考えられる。でも、わたしはふだん活字で読者と接しているわけですから、ここでは、じかに会えるということを活かそうと考えました。音とか映像なども見せられるわけです。そういうものを使って本だけでは伝えきれないことがやれたら、という思いはありましたね。
宮部 一方的に「教える」のではなくて、いろんなものを見てもらったり、読んだりしていますよね。朗読したりとかもね。
北村 それから、リアルタイムで見聞きしたことも話しました。つくづく表現する人というのは、好奇心が強いと思ったのが森村誠一先生の話。詳しくはこの本に書きましたが。
宮部 ピラフとカメラ。とにかく疑問を抱いたら解決させたい、と。
北村 あの好奇心というのはすごいですよね。
宮部 ピラフはねえ、普通、お立場を考えると……しませんよね(笑)。
北村 大先生なのに、あの無邪気な感じがね。
宮部 好奇心、強いですよね、作家はみんな知りたがりです。
北村 面白いものは待ってるわけじゃない、見つけるものですね。何にでも好奇心をもたない者は、創作者ではない、と。
宮部 そうですね。私も、面白いことがあると、「もっと、それ教えて」というタイプなんです。聞きたがりなんですよ。ジャンルにもよりますけど、教えたがりの人もいますよね。どちらにしても人と交流して、やりとりをしたがるという、そういうエネルギーの交感が好きなんですね。「これ面白い話でしょう?」と相手の反応を知りたい、どう面白がるかを聞きたい。私は、本当にストレートな知りたがりで、あんまりやいやい言うから、苦笑されることもあります。
北村 面白がり方を教わると面白さが分かる、ということも確かにあって、たとえば詩や俳句、短歌などは、作品を抜き出して見せてもらっただけで、ああ、ここがいいんだ、と気がつくっていうこともありますよね。そうすると自分の宝になる。
宮部 北村さんの『詩歌の待ち伏せ』はまさにそういうお仕事ですよね。この本も、そうなのですね。
北村 面白がりアンテナは、動かしました。
宮部 そういうことが必要ですよね。北村さんもこの本に書かれていますけど、いろんな表現をする人というのも、最初からそうだったわけじゃなくて、みんな積み重ねてきたり育てられたりするものだということですよね。でも、そういうことを、いきなり授業で教えるわけにはいかない。だから、四月にはこれ、五月にはこれ、と段取りを考えるのは、かなりのご苦労だったんじゃないかなと思ったんですけど。
北村 大変でしたけど、楽しんではいましたよ。「こんなの、どう? 面白い?」と学生の反応を見ながら進めていく、という感じでした。
宮部 そういうわくわくする雰囲気が、この本にもありますよね。実際の北村先生の教室ではどんな感じだったのかなと思って読み始めると、「書きたいことは何か」の最初の一文がいきなり、「香川県に行きました」って。
北村 どうでしょう、このつかみは?
宮部 楽しいですよ。これが「書く」ということですよね。
北村 うれしいけれど、それは、どうでしょうね(笑)
宮部 そうだと思う。私は、この本は極めて具体的な実践の創作教本だと思ったんですよ。これが具体的な創作教本だとわからない人は、とりあえず小説を書くのはやめた方がいいと思いますね。
北村 それはすごい。
宮部 これがわかるかわからないかが、まず分かれ道だと思いますよ。岡嶋二人さんの、お二人のそれまでの歴史を書いた『おかしな二人』という本があります。その本は創作裏話であると同時に岡嶋版「ミステリーの書き方」だったんです。
北村 あれは大変な本ですよ。
宮部 でしたよね。岡嶋二人の創作の秘密がそのまま二人の歴史になっている。コンビを組んで、成功して別れていくまでの、ね。私はあれを読んだときに、これは創作教本ですねって申し上げたら、作者の井上夢人さんが、「でもこれ、そうだと思わない人の方がきっと多いよね」っておっしゃったんですよ。私はそのときも同じことを言って、だからこれを教本だとわかるか、わからないかで、まずそこが分かれ道ですよね、って。北村さんのこの本もそうで、ああ、そうなんだ、小説を書くってそういうことなんだとわかる人がいると思います。どうわかったのか、ということは、その段階で人に説明できなくてもいいと思うんですよ。心にピンとくるだけでいい。
北村 私が非常にうれしかったのは、二年目の講義の時、後期の作品が割とよくて、卒論の小説も非常にいい学生がいたんです。小説になっている。卒論の面談のときに、「よく書けている。逆にどうしてあなたが前期にあんな形だけまとめたような、つまらないものを書いてきたのか不思議だ」と話したんです。そうしたら、学生が、「講義を受けていて、あるとき、瞬間にわかったんです」と言うんですよ。
宮部 ピンッ! とね。
北村 それはすごくうれしかったですね。「ああ、小説ってこういうものなんだ」ってわかったと言うんです。「とても役に立ちました」って言われて、これは鼻高々でしたよ。教壇にいた意味があったというかな、伝わっていた、というのが。
宮部 その学生さんがすばらしいのは、わかったことをわかったとレポートに書くのではなくて、作品で結果を出せたってことですよね。