下克上の果てにあるものは何だったのか?――圧倒の戦国短編集。

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燕雀の夢

『燕雀の夢』

著者
天野 純希 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041047712
発売日
2017/02/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

読んで滾った、涙した。圧倒の戦国短篇集だ。

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

 戦国武将の生涯を読みたい。でも、長篇を読むほどの、まとまった時間が取れない。そんな読者にお薦めしたいのが、天野純希の『燕雀の夢』だ。優れた戦国小説の長篇を発表している作者が、初めて上梓した戦国短篇集である。

 収録されているのは六作。巻頭の「下剋の鬼」は、長尾為景が主人公だ。ちなみに、上杉謙信の父親である。越後守護の上杉房能に仕えていた長尾家だが、当主の能景が一向一揆との戦いにより死亡。若くして為景が、新たな当主となった。長尾家を煙たがる房能により、益なき戦に駆り出される為景は、ついに下剋上を決意。房能を討ち、越後の国を手に入れようとする。だが、さまざまな火種を抱える越後は、数十年経っても治まることなく、為景の戦いの日々が続く。そして、いつしか房能のごとき存在になってしまった為景は、身内に殺されることになるのだった。

 戦国乱世は、多くの武将が野心を滾らせていた。長尾為景も例外ではない。いや、戦に負けて自分に与した国人が処刑されたときに為景の、
 
 
「もっと殺せ。もっと圧政を布き、民を苦しめるがいい。武士や民の怒りが膨らめば膨らむほど、為景の再起を望む声は大きくなるのだ。

 男女の血が雪を赤く染めていくのを見つめながら、為景は笑い出しそうになる自分を何とか抑えていた」
 
 
 との描写を読めば分かるように、彼の野心は実に激烈かつ利己的なのだ。そうまでして越後を平定し、その先にある天下を渇望した為景は、しかし無情にも殺される。己の夢を息子の虎千代(後の謙信)に託すことを、わずかな慰めにして——。戦国武将の抱いた野心の、雄々しさと儚さを浮き彫りにした、素晴らしい作品だ。

 続く「虎は死すとも」は武田信玄の父親の信虎が、「決別の川」は伊達政宗の父親の輝宗が、それぞれ息子との関係性を通じて語られていく。このあたりで本書の収録作が、有名な戦国武将の父親を主人公にしていることに気づいた。また、父親たちの潰えた夢が、いかにして息子に託されていくのかが、テーマになっていることも理解できた。なるほど、興味深い趣向である。

 ところが天下人の父親を扱った後半の三作は、前半のスタイルやテーマを踏襲しながらも、ちょっと読み味が変わっている。徳川家康の父親を主人公にした「楽土の曙光」は、領土と妻子のために苦しい戦いを続ける松平広忠の人間像に迫りながら、彼が殺された事件の裏側を明らかにしている。織田信長の父親を主人公にした「黎明の覇王」では、有能な息子に複雑な思いを持ちながら、自分の限界を見極めた信秀の人生と、予想外の最期が綴られる。どちらの作品も、主人公の死に意外な真相が盛り込まれており、フィクション色が強まっているのだ。

 それはラストの「雀燕の夢」にもいえる。武士とは名ばかりで、農夫同然の生活をしている木下弥右衛門。出世を夢見る彼は、妻子を顧みず、戦にのめり込む。しかし挫折した弥右衛門は、長年にわたり、酒浸りの日々を続ける。そこに織田信長に仕え、今や城持ちとなった息子の羽柴秀吉が現れるのだが……。

 この物語も息子が父親の夢を受け継ぐのだが、いままでの作品と違う形となっており、かなり驚いた。しかし一方で、本作が掉尾を飾る意味も納得できた。戦国という時代が、どのように変わっていったのか。下剋上の果てにあるものは、何だったのか。積み重ねてきた五作の後に本作を置くことで、作者は乱世の実相を、鮮やかに表現してのけたのである。

 長篇が重い一撃なら、短篇集は鋭いパンチの連続。作者のテクニカルな六連パンチに翻弄され、気持ちよくノックダウンされた。戦国小説のファンならば、絶対に見逃せない一冊なのだ。

KADOKAWA 本の旅人
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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