巧みなトリックが誘う壮大な歴史の回廊

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天上の葦 上

『天上の葦 上』

著者
太田 愛 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041036365
発売日
2017/02/18
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

天上の葦 下

『天上の葦 下』

著者
太田 愛 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041036372
発売日
2017/02/18
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

巧みなトリックが誘う壮大な歴史の回廊

[レビュアー] 外岡秀俊(小説家、ジャーナリスト)

 多くの推理小説を読んできた読者も、この小説の書き出しには、度胆を抜かれるだろう。

 時は正午、場所は渋谷のスクランブル交差点。多い時には、三千人が五方向に交差するその真ん中で、信号が赤になっても動かない人影がある。スーツを着た老人は、車の警笛や群衆のざわめきに動じることなく、ゆっくりと右腕をあげて空の一点を指差し、その場で絶命する。

 その男、九十六歳の正光秀雄とは何者なのか。介護施設に入所していたその老人は、なぜ病を押してまで、全国で最も有名な交差点に来たのか。そして、正光は、いまわの際に何を指差していたのか。

 雲をつかむような話である。ところがその調査依頼が、場末の興信所に持ち込まれることで、物語は一気に始動する。

 興信所の所長は鑓水七雄。顔は端整だが服装はド派手、いつも軽薄な言動を助手の修司にたしなめられる粗忽者だ。調査を依頼してきたのは、かつて鑓水らが命を賭けて渡り合った政界の大立者・磯辺満忠の秘書だ。期限は二週間で、報酬は一千万円。「どうせ罠だ」。そう止めようとする修司を後目に、鑓水は依頼を受ける。どうやら鑓水には、引き受けざるをえない事情があるらしい。

 その頃、二人の友人で停職中の刑事・相馬亮介は、警視庁公安部の前島昇から、失踪した部下の山波刑事の行方を突き止めるよう命じられる。こちらもいわくつきで、どうやら別の部下が、山波を監視してきたようなのだ。

 こうして、まったく違う線を追うことになった鑓水・修司と相馬は、思いがけない地点で交差する。不審の死を遂げた正光老人と、失踪した山波刑事には、どこかで接点があったのではないか。それも、遥かな過去、この国の運命を変えた巨大な力をめぐって。

 こうして、再びタッグを組んだトリオは、正光老人と山波刑事の行方を追ってスリリングな旅に出かけることになった。

 ストーリーを明かせないのは残念だが、まず驚かされるのは、多彩な群像の個性をそれぞれ鮮やかに際立たせる作者の描写力だ。

 主人公の鑓水は一見、詐欺師めいた怪しげな男だが、勘のひらめきと推理、駆け引きにおいては天才肌だ。若い修司は純情だが行動力があり、叩き上げの相馬は愚直に足で稼ぐ。三者三様の個性がぶつかる掛け合いの妙味と、互いの不足を補って謎を解き明かすチームの爽快な突破力に、思わず声援を送りたくなる。

 第二の特徴は、そのトリックの巧みさだ。作者はいったん右手で謎を解きながら、読者が注目しない左手で新たな謎を仕込む。左手を開いて読者を驚かせているあいだに、右手は次の謎の準備をしているという具合だ。解き明かされた謎は、さらに大きな謎の一部でしかない。そうとわかった時の驚きは、カタルシスと共に、一刻でも早く先を読みたいという気持ちを誘わずにはいない。

 あらかじめ、散弾銃のように印象的なシーンの断片をばらまいておき、推理の糸を手繰り寄せるとすべての場面が見事につながる。その卓抜な構成力は、長くテレビの脚本家として活躍してきた著者ならではのものだろう。

 しかしこの小説は、娯楽の醍醐味を堪能させてくれるだけではない。読者は三人組のずっこけぶりに笑い転げ、そのピンチの場面で手に汗を握りながら、知らず知らずのうちに、この作品に埋め込まれた「歴史」という壮大な回廊を歩いていることに気づく。

 舞台は現代の東京と、戦争の影を引きずる閉ざされた村。読者は現代と過去、都会と限界集落を行き来しながら、この社会が孕む危うさを、実感するだろう。老人が指差したものは何か。末尾でその謎が明かされる時、読者は豊かな物語を読み終えた至福に浸ると共に、この小説が、この国が直面する目の前の危機に、正面から挑む社会派大作であることに気づくだろう。

KADOKAWA 本の旅人
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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