『「奇跡の自然」の守りかた』
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寄藤文平は『「奇跡の自然」の守りかた』を読んで二項対立では見えない真の共存を思案する
[レビュアー] 寄藤文平(アートディレクター)
やや持ち直したとも聞くが、近年スキー場に人が集まらないという記事を見かける。中学生時代、世はバブルの最中で、そこかしこに新しいスキー場ができた。実家の近所にもスキー場が開かれ、それまで何時間もかけて遠くのスキー場に出向かなければならなかったから、それは素直にうれしいことだった。
しかし、家族でそのスキー場に向かうたび、僕はぼんやりとした違和感を感じた。スキーブームと同じくして環境問題という言葉を耳にするようになっていた。父はしばしばスキー場やゴルフ場の開発が土地の生態系を破壊してしまうと憤っていたから、近所にできたスキー場にも断固行かないと思っていた。ところが、父もスキー場ができたことを普通に喜んでおり、「夜スキーにでもいくか」と言って、しばしばナイターに繰り出した。なぜ環境破壊はNGで、家族でスキーに行くのはOKなのか。車の窓からはいつも、夜空よりも黒い駒ケ岳の山体と、その麓でライトに照らされて輝く白いゲレンデと、その表面で蠢く無数の黒い粒が見えた。
この本の主題となる「小網代(ルビ:こあじろ)の谷」は神奈川県三浦半島にある。川のはじまりからそれが海に至るまでの流域に、住宅や橋や工場といったものが一切なく、谷ごと丸彫りの自然が残っている場所だ。本書『「奇跡の自然」の守りかた』には、その自然を保全しようという活動の紆余曲折がまとめられている。
僕は最初、人間の乱開発を糾弾しつつ自然の大切さを訴えるという、典型的な自然保護の話なのかと疑いながらこの本を読み始めた。ところがここで扱われている「自然」は「人間のいない自然」ではない。小網代の谷が「奇跡」なのは、無垢な自然が残っていることではなく、それが人間の活動との関わりの中で偶発的に生まれた自然だからで、それを「守る」ということは、人間の意識や活動も含めて調和した環境を整えていくということなのだった。
土地を開発したい人も、植生を楽しみたい人も、無関心な人もいる。開発を考える人には「自然公園にしたらもっと価値があります」と説明し、観光客と地元の人が摩擦しないように「ナビゲーション・スタッフ」の仕組みを用意し、官公庁の人には「みんなが谷を残したがっている」という機運を導いて、法的な整備を働きかける。その様子は、あたかも植物や生物を育てているかのようでもあり、その根底に「どのような人間であれ、それもまた自然の一部なのだ」という眼差しを感じる。
環境問題や自然保護といったテーマについて考える時、頭の中で想像している自然の中から、いつのまにか人間が抜け落ちてしまう。「自然」と「人間」という図式で考えている時点で、その「自然」の中に人間は含まれない。山腹の森林を伐採して土を削り、雪を合成して斜面を覆い、そこを嬉々として滑り降りる奇妙な黒い粒もまたひとつの自然なのだと考える時、本当に自然を守るということは、一体どういうことなのだろう。この本には、そのヒントがたくさん詰まっている。