ハイジが生まれた日 ちばかおり 著

レビュー

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ハイジが生まれた日 ちばかおり 著

[レビュアー] 赤坂真理(作家)

◆アニメへの愛が紡ぐ戦後

 スイスアルプスの美しい風景を、カメラがなめるように移動してゆく。ハイジと子やぎユキのスキップがはさみこまれた後、目もくらむほどの高さの谷にかかったブランコをハイジがこぐ--。テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』の伝説的オープニング。人に与えた影響は計り知れないだろうが、私にとっては、文体のルーツである。

 いまや世代も国境も超えたこのアニメの誕生をめぐる物語は、意外なところから始まる。一九四〇年、中国。戦争をよそに西洋そのものとして繁栄する天津のフランス租界、あるいは北京。そこで育った高橋茂人という少年がいなければ、ただのキリスト教的救済物語だった原作『ハイジ』は、新たな生命を吹き込まれることはなかった。アニメ『ハイジ』もまた、広義の戦争と戦後の産んだものであることに驚かされながら、引き込まれてゆく。

 アニメーターの宮崎駿、高畑勲、小田部羊一、作曲家の渡辺岳夫、詩人の岸田衿子、そして手塚治虫…。今から見ればキラ星のような才能が交錯し、輸入外国車ディーラーヤナセの社長など、意外としか言いようのない人々がかかわり、それぞれがその運命に身を投じ、あるいは巻き込まれて、引き受ける。そうして『ハイジ』、のみならず日本のアニメの初期にしてブレークスルーが、かたちづくられてゆく。裏番組にぶつけられたのは、松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』だと知ると、なんと大きな戦後史がそこにあったものだ、と思う。と同時にやはり、それは普遍的な人間の物語なのだ。

 アニメでは、日常をきちんと描くのがいちばんむずかしいという。動作や表情の機微を、いちいち描写で起こさなければいけないからだ。むずかしいそれを何より大事にしたのは、取りも直さず、企画者であった高橋であろう。だからこそ『ハイジ』は愛され続けていると思う。高橋は、著者が本書の取材を終えた一週間後に亡くなったとある。愛と尊敬とを送りたい。

(岩波書店・1944円)

<ちば・かおり> 海外児童文学研究者。本書は昨年本紙に連載したものを改稿。

◆もう1冊

 津堅信之著『新版 アニメーション学入門』(平凡社新書)。アニメの仕組みや歴史をはじめ、日本と世界の最近の動向を解説。

中日新聞 東京新聞
2017年4月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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