「声なき声」を聴く「ドブ板取材」

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「声なき声」を聴く「ドブ板取材」

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 朝日新聞の記者が岩波新書から出したトランプ本である。リベラル色燦然、読む前にお腹一杯になりそうな、豪華組み合わせだ。その先入観は、みごとに覆される。トランプを「敵」と位置づけることはしない。トランプ人気をアメリカの正直な姿であると観念して、一年間、丹念に追った成果なのだ。クリントンが勝利したならば、まず存在し得なかった本だろう。

 著者の金成隆一はニューヨーク特派員で、国連を担当している。取材はおもに週末を利用し、トランプが強い地域を車でまわる。ニューヨークから行きやすいこともあって、五大湖周辺の「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」が中心になる。白人ブルーカラーの不平不満が鬱積する人口減少地帯だ。

 たとえば、オハイオ州ヤングスタウンはブルース・スプリングスティーンが歌った製鉄の町である。歌のヒントになったルポルタージュに収められた写真で親しんでいた、さびれた風景が見える。ダイナーに入って、食事中の連中に話を聞く。写真を撮る。気のいい取材相手はおごってくれる。「おごられっぱなしではマズイので、私が次回はお誘いする」。これが著者の取材法である。

 別の町で知り合った元鉄鋼マンのジョーの家には、選挙期間中に五回も通っている。六十二歳の彼の関心事は社会保障制度だ。トランプは削減しないと言い、他の政治家は削減したがっている。「あいつらは選挙前だけ握手してキスして、当選後は大口献金者の言いなりで、信用できない」。ジョーは長らくの民主党支持から鞍替え組だ。十八歳から溶鉱炉で働いた。同僚の半分は病気にやられて死んでしまった。その名をひとりひとりあげる。「私にフルネームを言ってもわかるわけがないのに、元同僚の名をそらんじる」。こんなシーンを読んでいると、私はベトナム戦争の映画『ディア・ハンター』のロバート・デ・ニーロやクリストファー・ウォーケンを思い出した。彼らは本書の舞台であるペンシルベニア州の鉄鋼の町からベトナムの戦場に送られた、という設定になっていたからだ。

 著者の取材は、日本風のドブ板選挙にならって名づけると、「ドブ板取材」である。トランプ言うところの「忘れられた人々」に焦点をあてる。トランプは票を掘り起こし、著者はその「声なき声」を聴き取っている。トランプはあくまでも影の主役にすぎない。

 そのトランプの演説がペンシルベニア州にあった製鉄所の跡地で行なわれた時のエピソードが傑作だ。会場の外で取材中に、一人の女性が「あなたリベラルなの!」とすごい剣幕で騒ぎ始める。ニューヨーク・タイムズ(NYT)の記者と間違えられたのだ。朝日の支局はNYT本社ビルに入っていて、その入館証を首から不用意にぶらさげていたのを、見咎められたのだった。NYTの文字は「トランプ支持者の間では禁止用語に近い」。取材拒絶状態にあわてて、著者は事情を説明するのだがわかってもらえない。「そもそもニューヨーク・タイムズの記者の英語がこんなに下手くそなわけないでしょ!」。誤解がやっと解けたのは、この一言だった。

 著者は「トランプ現象」を解明する手がかりとして、トランプの横に三人の人物を引き連れてきている。一人は取材の過程でその存在を教えられた、民主党の下院議員トラフィカントである。オハイオ州ヤングスタウンから選出されたこの議員は、連続九回当選した。彼は二年前に事故死したが、その主張がトランプそっくりだという。演説の動画を見せられる。国境警備の強化を訴え、NAFTA(北米自由貿易協定)を批判し、工場移転をちらつかせる企業があれば実名を挙げて批判している。演説は「オバマのような高尚さはゼロで、うならせるメッセージもない。ただ、言葉遣いはラフで聴衆を飽きさせない」。

 二人目は、クリントンと民主党の指名を争った民主社会主義者サンダースである。公立大学授業料の無料化などの政策で人気を得、エスタブリッシュメント(既得権層)への反発をすくいとった。サンダースは日本のメディアでもさかんに紹介されたから、そんなに驚きはない。朝日的には押さえておく必要のある政治家である。

 三人目は、二〇〇八年の大統領選の際、オハイオ州で今回のトランプとよく似た発言をした人物である。「NAFTAが間違いというのは、まったくその通り」「私はNAFTA改定を試みるため、メキシコなどの大統領にすぐに電話を入れます」「雇用を海外に出す企業への税の優遇措置は止め、アメリカに投資する企業を優遇しないといけません」。眉間に皺を寄せてそう語りかけたのは、党内の対立候補クリントンを批判するオバマ候補であったと種明かしされる。

 フランスの人口学者エマニュエル・トッドは『トランプは世界をどう変えるか?』(朝日新書)で、こう言っている。有権者の現状理解は、自由貿易と移民がアメリカに不平等と停滞をもたらした、である。その理解が選挙結果に反映されているのだから、アメリカは民主主義だ、と。その上で、なぜ上層階級とメディアと大学人には、その有権者の意思が見えていなかったかを問題にする。「私にとってより驚くべきことは、彼らには現実がみえていなかったことです」。そうした「メディア」にあって、孤軍奮闘して「現実」を見ようとしていたのが金成記者であった。貴重なドサ廻りアメリカルポである。

新潮社 新潮45
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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