出所不明の記事に新たな報道言語を

レビュー

5
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日本語とジャーナリズム

『日本語とジャーナリズム』

著者
武田徹 [著]
出版社
晶文社
ISBN
9784794968272
発売日
2016/11/25
価格
2,052円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

出所不明の記事に新たな報道言語を

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 日本語は批評やジャーナリズムの道具となりえるのか。厳しい問いを突きつけるこの本は、同時にジャーナリズムの可能性を指し示してもいる。

 著者は、ジャーナリズムの世界で長く活躍する評論家で、研究者でもある。実践と研究、守備範囲の異なる二つの世界に身を置いてきた人だからこそ、書くことのできた本だと思う。

 個人的な記憶から、論は書き起こされる。かつて著者は、「諸君!」に書いた書評を大学の恩師に見せ、「軽評論家」呼ばわりされた経験がある。このことに逆に背中を押されるようにして、著者はアカデミズムを離れフリーランスの道を選んだ。四十代半ばからは大学に戻り、ジャーナリズム研究と執筆活動を両立させている。

 本書でも紹介される、体験と経験、二つの言葉を使い分けた森有正を念頭に置いて、この本は書かれているのだろう。交換可能な体験と違って経験は交換不可能なもので、その体験を通じて「《わたくし》がその中から生れて来る」のが経験であると森は言う。恩師とのいきさつはまさに経験と呼ぶべきもので、人間関係が言語に嵌入してくる日本語には命題がありえない、と書いた森について深く考えるきっかけを与えてくれたのもこの人だった。

 森以外にも、日本語とジャーナリズムへの関心を持続させながら読んできた本の中から、本多勝一、佐野眞一、丸山真男と荻生徂徠、玉木明、大宅壮一、清水幾太郎、片岡義男の論考が紹介される。彼らの問題提起を経験的に読み解き、日本語で書く記事が抱える問題を浮かび上がらせていく。

 玉木明が『言語としてのニュー・ジャーナリズム』『ニュース報道の言語論』の二冊を九〇年代に発表して二十年以上たつが、マスメディアの日本語はほとんど変わっていない。新聞紙上でニュー・ジャーナリズムの手法で書く取り組みがされたこともあるし、昔に比べれば署名記事は増えたけれど、玉木がいう、「『われわれ』を主語に立て、なおかつ消す操作」を加えた「無署名性言語システム」そのものは何も変化がない。

「これでいいのか?」という思いは二十年前より一層、強くなっていなければおかしい。ネットを中心に出所不明の記事があふれ、新聞・雑誌やテレビの報道も、それらの情報のうちの一つと見なされるようになったいま、主語や視点、ニュースソースを明示した新たな報道言語を組み立てるのは急務のはずである。

 事実を積み上げ続けることの大切さを説く本だけに、引用した書名に「え?」という誤植があるのは残念だ。校閲もまた、事実の積み上げに欠くことのできない作業なので、あえて付記する。

新潮社 新潮45
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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