北村薫×柳家喬太郎「漱石のうどん屋」 夏目漱石没後一〇〇年記念落語会

対談・鼎談

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北村薫×柳家喬太郎「漱石のうどん屋」 神楽坂ブック倶楽部イベント詳報!

漱石の好きなフレーズ

柳家喬太郎
柳家喬太郎さん

北村 漱石と落語というテーマは大きすぎて、今日の時間の中ではとても喋りきれませんので、参考図書を挙げておきます。ひとつは小林信彦さんの『小説世界のロビンソン』(新潮文庫/品切れ)。漱石と落語について、たっぷり触れています。もうひとつは水川隆夫さんの『漱石と落語』(平凡社ライブラリー/品切れ)。この本によりますと、漱石は前々から三代目小さんが好きで、ある時、それこそ小さんで「うどん屋」を聴いて帰ってくると、「おめえ、仕立屋の太兵衛ってのを知っているか」とクダをまくところを何度も真似して見せて、顔を真っ赤にしながら笑っていたそうです。あのフレーズが大好きだったんですね。あれ、耳に残るフレーズですものね。

喬太郎 確かにそうでしょうね。

北村 そういうフレーズって、いろんな落語にあります。例えば「二番煎じ」では「あれはこの宗助さん」って、いろんなことを宗助さんという人のせいにするフレーズが耳に残ります。

 ところで、漱石が人生の最後に小さんの「うどん屋」を聴いた場所は築地精養軒でした。大正五年十一月二十一日、辰野隆の結婚披露宴で、余興に小さんが「うどん屋」を演った。ミイ坊の婚礼が出てくるお目出度い噺ですから、結婚式向きですよね。「当家の婿殿、蛇(じゃ)になった」(「松竹梅」のフレーズ)よりは……(会場笑)。

喬太郎 僕も結婚式に呼ばれることがありますが、落語を一席はなかなか難しいですね。大正時代に比べて、手近に笑える芸能は他にもたくさんあるものですから、新郎新婦が落語家を呼びたかっただけで、他のお客様は特に落語が好きじゃない、という場合が多いんです。ですから、分かりやすいという意味で、僕は「松竹梅」とか「たらちね」(八五郎がむやみやたらに言葉遣いが丁寧な妻を娶(めと)る噺)なんかを演っていますね。

北村 あ、「蛇になった」「何蛇(なにじゃ)になられた」「亡者になられた」でも平気ですか?

喬太郎 「亡者になられた」で切らずに、「亡者になられたって言っちゃったんですよ」「言っちゃったのかい」「聴いてる人がワッと笑ってくれて良かったんですけどね」というふうに救ってあげたら、結婚式でも演れるんです。

 三代目小さんが私のような下世話な考えを持ったかどうかは分かりませんが、声がいいことを売り物にしていた師匠らしいので、「うどん屋」は売り声を聴かせられるし、食べる仕草があるし、酔払いは出てくるし、婚礼が絡んで目出度いし、確かに結婚式の余興で演るにはうってつけの噺でしょうね。

北村 喬太郎さんは今でも結婚式に呼ばれたりするんですか。

喬太郎 二つ目時代は多かったですが、少なくなりましたね。ほとんどの場合は司会で行くんですが、後から風の噂で聞くと四割くらい離婚している。だから、僕をあまり呼ばない方が(会場笑)。

北村 で、漱石は小さんの「うどん屋」を機嫌よく聴いた翌日、胃の調子が悪くなって寝つき、十二月九日に亡くなりました。喬太郎さんなら、「俺が漱石を倒した」とか言ったりして(会場笑)。

喬太郎 実際、池袋か浅草の寄席で落語の最中にお客様がくずれ落ちて、救急車で運ばれましたが、そのまま亡くなられたことがあったんだそうです。楽屋で「お前が殺した」「いや、先にお前が体調悪くした」(会場笑)。遺族の方は「おじいちゃん、好きな落語を聴きながら死ねて良かったです」と仰ってくれたそうですけど。

新潮社 波
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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