北村薫×柳家喬太郎「漱石のうどん屋」 夏目漱石没後一〇〇年記念落語会

対談・鼎談

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北村薫×柳家喬太郎「漱石のうどん屋」 神楽坂ブック倶楽部イベント詳報!

落語はギリシア神話か

夏目漱石
夏目漱石

北村 漱石は江戸生まれですから、落語が好きでも不思議ではないのですが、意外なところで、『源氏物語』を英訳したサイデンステッカーさん。あの方は日本語が堪能なんだけど、どうも言葉遣いが固いので、大学で同級生だった高橋治さんが落語を聴けと薦めた。それで寄席に通うようになって、サイデンステッカーさんの日本語は柔らかくこなれてきたと言います。でも、「するってえと何かい」とか言う光源氏も……(会場笑)。

喬太郎 紫の上が「ちょっとお前さん、何言ってんだよ。しっかりしておくれよ」って言ったり。ヤな『源氏物語』(会場笑)。でも、エッセンスとして、落語の言葉や雰囲気、感覚が日本文学の翻訳に取り込まれるのはいいことでしょうね。

北村 ちょっと前に出た本なんですが、糸井重里さんと南伸坊さんの『黄昏』(ほぼ日ブックス)という本がありましてね。日本各地をいわば「二人(ににん)旅」しながら対談しているのですが、中に「われわれにとって落語はギリシア神話だ」という主張が出てくるんです。西洋の文化の根底にはギリシア神話があって、例えばヴィーナスと言えば、説明抜きで〈美の女神〉だと共通理解がある。日本人にとって、ギリシア神話にあたるのが落語だと。

喬太郎 ははあ、メドゥーサ権太楼(ごんたろう)とかポセイドン白酒(はくしゅ)みたいな(会場爆笑)。

北村 伸坊さん、糸井さん、僕は一歳ずつ違うんですよ。さん喬さんも同じ世代ですよね。われわれはラジオ落語全盛の時代に育っています。子どもですから、文楽、志ん生、円生、小さんとか認識しないまま、落語が耳から自然に入ってきて、いろんなフレーズやギャグなんかを覚えちゃった。だから、「『寝床』みたいだね」とか「ひと口に限る」「電車、混むね」とか説明不要で、スッと理解し合えるんです。ずっと後の世代になりますが、さくらももこさんのマンガを読んでいると、彼女もどうやら落語をたくさん聴いて育った方のようですね。

喬太郎 ありがたいことです。

北村 最後に漱石と落語について触れておきますと、漱石の談話にこういうものがあるんですよ。「落語(はなし)か。落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店(わらだな)へ聞きにでかけたもんだ。僕はどちらかといえば小供の時分には講釈がすきで、東京中の講釈の寄席は大抵聞きに廻った。何分兄等が揃って遊び好きだから、自然と僕も落語や講釈なんぞが好きになって仕舞ったのだ」(「僕の昔」)。

喬太郎 やっぱり、いい人だ(会場笑)。

北村 何より有名なのは、『三四郎』(新潮文庫など)で三代目小さんが出てくる一節ですね。「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである」。これはつまり、喬太郎さんと時を同じゅうして生きている我々も――(会場拍手)。

喬太郎 ……先生ねェ、ここで喋るとそれで終わりになっちゃいますから、作品に書いて下さい。百年後、また紀伊國屋ホールあたりで、「えー、北村薫が書いているようにですね……」(会場笑)。

新潮社 波
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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