キトラ古墳被葬者の謎、ウイグル人女性研究者が巻き込まれる陰謀。「歴史」と「女性」をめぐる特別対談! 池澤夏樹『キトラ・ボックス』×松家仁之

対談・鼎談

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キトラ・ボックス

『キトラ・ボックス』

著者
池澤 夏樹 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041037256
発売日
2017/03/25
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

池澤夏樹『キトラ・ボックス』×松家仁之〈刊行記念対談〉キトラ古墳の謎、北京の陰謀。1300年の時空を超えた考古学ミステリ。

キトラ古墳被葬者の謎と、ウイグル自治区出身の女性研究者を巡る陰謀。古代と現代、時空を超えて交わる謎とは——。池澤夏樹さんの最新作について、旧知のお二人にお話しいただきました。

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深刻なものではなく、
明るく楽しいエンタメが
書きたかった

松家 『キトラ・ボックス』というタイトルを見て、「もしや、キトラ古墳がテーマ?」と思ったのですが、小説の冒頭で「やっぱり!」と血圧があがりました。十年以上前に「芸術新潮」の編集をしていたころ、キトラ古墳を含む「飛鳥」の遺跡の特集を組んだことがあるんです。古墳は真横から撮っても鎮守の森のようなものが写るだけで形がわからない。だからセスナ機に乗って上空から撮影したものの、ひどい飛行機酔いになってしまって(笑)。そんな個人的な愛着もあったので、食いついて読みました。なぜキトラ古墳をモチーフにされたのでしょう。

池澤 二〇一四年から河出書房新社の『池澤夏樹個人編集=日本文学全集』の編集のために忙殺されていました。面白い仕事ではあったけれど、心のなかから「作家なら小説を書かなきゃダメだろう」という声が湧いてきた。せっかくなら深刻なものではなく、明るく楽しいエンターテインメント作品が書きたいと思いました。そこで、以前書いた『アトミック・ボックス』の登場人物を使って、同じように謎のある話を書こうと思いついたんです。そのとき、ちょうど頭が古代に向いていたんですよ。

松家 『日本文学全集』の『古事記』の現代語訳をなさっていた頃ですね。

2

池澤 そうです。『アトミック・ボックス』では戦後史の謎を扱ったので、次は古代史の謎にしようとテーマを探しました。卑弥呼や邪馬台国は、さすがに論争が大きすぎるから、結論が出たと言っても誰も信じない(笑)。そちらは諦めたのですが、いろいろ調べていくうちに、キトラ古墳の被葬者が、絞り込まれてはいるけれど誰であるのか確定できていないと知りました。それならキトラ古墳を書こうか、と。そのあたりから、構想ができあがっていきましたね。

松家 『アトミック・ボックス』では女性主人公にフラれた藤波三次郎が、なんと今回は活躍する。うれしかったですね。

池澤 そうですね。三次郎が考古学者だったので、今回は重要な役で再登場してもらいました。

松家 『キトラ・ボックス』だけでも面白いし、読み終えたあと『アトミック・ボックス』を読めばさらに面白い。二作はそんな関係になっていますね。明るく楽しく書きたいとおっしゃいましたが、どちらも「歴史」「国家」という大きなテーマを扱っていますし、サスペンスの要素もあります。

池澤 『アトミック・ボックス』を書いたときのことでいうと、ミステリーと決めても殺人は書きたくなかったし、犯人探しやアリバイのトリックも散々書かれたテーマだから……と思った。すると残るのは宝探し、あるいは追いかけっこ。追われるには追う方が強い方がおもしろい。一番力があるのは警察、つまり国家ですよね。国家に追われるという場合の「宝」とは何か。それは国家が隠そうとしているものではないか、と。それで宝を「核兵器開発の秘密計画」にして……という形で組み立てていきました。だから、ダークな面もあるけれど、構造的には深刻ではないんです。そこに関しては『キトラ・ボックス』も同じ。スラスラ読めてページをめくる手が止まらないようなエンターテインメントにしたいと思ったんですよ。

歴史という縦軸と、
グローバルな広がりという
横軸がある

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松家 キトラ古墳の天井には天文図が描かれています。あの天文図は日本で観察される星空とは違うらしいと、特集で取材したときに初めて知りました。それは被葬者がどんな人物で、どんな経歴の持ち主なのかという推理にも絡んできます。ここを生かしたことで、実に池澤さんらしい、インターナショナルな物語になったと思います。

池澤 今回、古代の墓荒しのシーンから書き始めましたが、古代史のパートは書いていてとにかく楽しかった。調べてみると、被葬者の候補は三、四人に絞られていることがわかりました。そのなかの誰の墓なのかという謎が今作の一つの軸なのですが、ある人物に関して、中国に縁があるのだけれども中国に渡ったという史実は残っていなかった。逆にいうと渡っていないとも書かれていない。「よし、彼が遣唐使として渡ったということにできるぞ」と思って、一人を選びました。このような軸となる部分に関しては、なるべく嘘がないようにしっかり調べることがリアリティーを保証する。『アトミック・ボックス』を書いたときも、長距離フェリーが重要なアイテムだったので、実際に乗って確かめましたし。

松家 池澤さんといえば乗り物は外せない(笑)。以前、アメリカのスミソニアン博物館にご一緒したとき、展示されている飛行機や宇宙船について、学芸員のように詳しく解説してくださったのを憶えています。

池澤 電車でも船でも車でも、動くものならなんでも好きなんだな。少年なんですよ、そのへんは(笑)。

松家 『キトラ・ボックス』も『アトミック・ボックス』も、歴史という縦軸と、グローバルな広がりという横軸がある。『キトラ・ボックス』では、現代中国の抱える問題といったヘビーなところにも踏み込んでいらっしゃいます。

4

池澤 『アトミック・ボックス』を発表したときも「反戦反核がテーマですか?」と聞かれたけれど、そうじゃない。宝探しの「宝」として核兵器が登場したので、政治が絡んでしまっただけのことなんです。今回も主人公を中国籍の可敦という女性にしようと決めたけれど、それだけでは何か足りないと思った。もうひとつテーマがほしくて、彼女にあるミッションを担ってもらったわけです。

松家 そこが池澤さんならではですね。政治的なことを描くならば、生真面目に、重たく書きがちだと思うんです。でも、半端な知識で世界情勢を持ちこむと、とってつけたものになりかねない。

池澤 こういった作品で、メッセージ性が強いとそうなるよね。

松家 明るく楽しく、とはいえ、警察の機構などは実情を踏まえた上で慎重に描かれています。

池澤 でもね、日本の警察はこんなに甘くないと思う(笑)。『レディ・ジョーカー』や『64(ロクヨン)』みたいなシリアスな警察小説とは、やはり描き方が違ってきます。

じつは「上野千鶴子主義者」
もっと女性たちが活躍すべき

5

松家 『アトミック・ボックス』の主人公である美汐は明るく行動力があって、友人も多い。一方で、『キトラ・ボックス』の主人公の可敦は口数も少ないし、最後まで謎がある。けれども、彼女も非常に魅力的です。このキャラクターは、おのずと決まったのでしょうか?

池澤 そうですね。可敦の場合、担っているミッションを隠したかったので内面は描けなかったんですよ。一部モノローグはありますが、本質に関わることは言っていない。優秀ではあるけれども、フレンドリーな人物にするわけにいかない。二人は決定的に違う。もうひとり美汐を作っても仕方ないとも思ったし。

松家 可敦には、美汐にはなかったちょっと際どいシーンもあります。

池澤 『アトミック・ボックス』は、とにかくスピード感が大切だったので、色恋沙汰を入れる余裕がなかったんです。でも、今回は多少は入れてみようか、と。

松家 可敦の容姿は詳しくは描かれていないのに、読んでいくなかでだんだん魅力的になっていきますね。

池澤 容姿を描くとイメージを限定してしまいますし、どうしてもパターンに陥ってしまう。それでなくとも、読者は美人だと思って読んでいるでしょうから。

松家 彼女たちの物語を追いながらもうひとつ感じたことがあるんです。われわれは「世界は変えられない」と諦めが早すぎるのではということ。日本では何かやろうとしても、リスクがあるとか、前例がないからできないと言われがちです。一方、たとえばアメリカでは、思いついたことをそのままやってしまう。月に行こうと思えば本当に行く。池澤さんの小説に出てくる女性たちはみな、行動力がありますよね。

池澤 僕はいわば「上野千鶴子主義者」なんです。他の国と比べてこの国がみっともないのは、受け入れる難民の少なさと女性の社会進出の遅れ。もっと女性たちに活躍してほしいと思っています。実際、僕が書く小説は、女性が主人公という作品が少なくないんです。

物事の考え方や感じ方に
母の影響を大いに受けている

池澤 最近気がついたんですけど、ぼくは今もって母親の影響下にあるような気がする。両親が別れて、母のもとで育ったことも関係あると思うんだけど、物事の考え方や感じ方についてまだ縛られていると思いますね。たとえば、政治的なスタンスや語学を重視するところとか。この歳になっても、まだ逃れられない。母の姉は北海道大学の研究者だったんだけど、古い時代だから本当にやりたいことができないまま終わってしまった。アカデミック・ハラスメントの典型。ぼくは、母たちができなかったことを、小説のなかでヒロインたちにやらせているんじゃないかと思うんです。実際、女性を主人公にしたほうが小説は面白くなると思っています。

松家 なるほど! お母様や伯母様への思いを、今日うかがうことになるとは思ってもみませんでした。

池澤 これは偶然なんだけど、作中で可敦が歌う「草原情歌」も、母が好きだった歌なんです。書いたあとで思い出しました。
 今作を書いてみて、やっぱりエンターテインメント小説を書くのは楽しいと思いましたね。壬申の乱をアレンジしながら書くのは無類に楽しかったですよ。

松家 古代の場面を映像化したらどんな感じだろうと勝手に妄想しました。「ボックス」シリーズのファンとしては、ぜひもう一作書いていただき、三部作にしてほしいですね。

池澤 実際に書くかどうかはわからないけれど、もし書くことになったら、松家さんが魅力的と言ってくださった可敦も脇役として登場させますね(笑)。

池澤夏樹(いけざわ・なつき)
1945年北海道生まれ。1984年、『夏の朝の成層圏』で長篇小説デビュー。1987年発表の『スティル・ライフ』で中央公論新人賞、芥川賞を受賞。その他、『母なる自然のおっぱい』『マシアス・ギリの失脚』『すばらしい新世界』など著書多数。

松家仁之(まついえ・まさし)
1958年東京都生まれ。編集者を経て2012年に『火山のふもとで』でデビュー。同作は読売文学賞を受賞した。他の著書に『沈むフランシス』『優雅なのかどうか、わからない』がある。

取材・文|高倉優子  撮影|内海裕之

KADOKAWA 本の旅人
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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