魚からみた生物の多様性のすごさ

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したたかな魚たち

『したたかな魚たち』

著者
松浦, 啓一, 1948-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784040820545
価格
880円(税込)

書籍情報:openBD

魚からみた生物の多様性のすごさ

[レビュアー] 丸山宗利(昆虫学者)

 魚類はわたしたち人間、とくに日本人にとって、もっとも身近で馴染み深い生物の一つであろう。まず、牛、豚、鶏といった肉類とならび、魚は食卓を華やかにする大切な蛋白源である。また動物園とならんで、魚類を中心に展示する水族館は重要な教育施設かつ娯楽施設となっている。つまり私たちは日常的に魚を食べ、ときに泳ぐ姿を眺めて楽しんでいる。しかしそのいっぽうで、実は私たちはあまりにも魚のことを知らない。本書によってそのことを思い知らされるはずである。

 本書は魚の暮らしぶりに関するさまざまな事象を紹介している。最近、「生物多様性」という言葉を耳にする機会が多くなったが、まさにその多様性を、魚類に焦点を絞り、いろいろな視点から紹介している。

 そもそも魚類は哺乳類や鳥類と同じ脊椎動物(背骨を持つ動物)に含まれるが、圧倒的に種数が多い。本書によると、全世界に三万二千、日本だけでも四千二百もの種数が知られているという。これは世界で五千五百種程度の哺乳類、一万種程度の鳥類と比べるとかなり多いし、毎年たくさんの新種が見つかっていることから、実際にはもっと多いと言える。多様性という言葉にはいろいろなとらえ方があるが、種多様性という概念からは、間違いなく魚類の多様性は非常に高い。また、たいていの脊椎動物は、種によって異なった暮らしぶりをしている。このことから、魚類は生活の多様性もかなり高そうだと想像できる。しかし現実はその想像を大きく上回るものだった。

 抜粋をすればきりがないが、とくに私が驚いたものを挙げよう。極限環境に住む魚として、米国デスバレーの溶存酸素の少ない水に住むパプフィッシュは酸素呼吸を行わず、嫌気呼吸という方法で長時間生きられるという。クロソラスズメダイは、岩に付着した藻類を食べるために、自分専用の畑を作るそうだ。オニハタは、猛毒を持つグアムカサゴに細部にわたって似せた見事な擬態をする。よく知っているフグでも、毒性分のテトロドトキシンを性フェロモンとして利用したり、抗菌物質として使用しているということを初めて知ることができた。私が研究している昆虫も多様で興味深い一群だが、魚の世界にはまた違った面白さがあり、昆虫に比べてずっとヒトに近いことから、懸命に生きる魚たちの様子に強い親近感を持つこともできた。

 著者は高校生のときから魚に興味を持ち、さらに学生時代に奄美大島の海に潜り、魚の美しさや多様性の面白さに魅了され、サンゴ礁を主な生息場所としているモンガラカワハギ科やカワハギ科を主要な研究課題としてきたという。岩のなかに隠れるモンガラカワハギの一種を一網打尽にした話や、猛毒のオニダルマオコゼに刺されかけた話など、本書には著者の採集調査時の経験も各所にちりばめられ、それも大変面白い。

 また、本書に一貫して感じるのは、著者の強い「魚愛」である。専門の魚以外にも、いろいろな魚に興味を持ち、それらに深い造詣を持つことが文章からにじみ出ている。全体にユーモアにあふれ、それがわかりやすく説明されているというのは、同じ生物学徒として実感することだが、経験に裏付けされた「生きた知識」がないと難しいことである。たとえば、深海魚が広い海で獲物に出会う機会について「25 
mプールの中で耳かきを使ってゴマ粒を探すようなものである」と説明していて、膝を打ったが、このような表現は実際に深海域で採集網を引かなければなかなか思いつかない。このような本書全体に通じる豊かな表現は、国立科学博物館で長年普及啓発活動を行ってきた著者の面目躍如ともいえるだろう。

 生物多様性といっても、すぐに具体的な印象が頭に浮かぶ人は、なかなかいないだろう。少し具体例を紹介したように、生物多様性の世界というのは、底知れないほど多様で面白いものである。本書は、そのような生物の多様性のすごさの一端を知るうえでうってつけの良書といえよう。

 ◇角川新書

KADOKAWA 本の旅人
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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