『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』
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日本一有名な料理研究家の波乱の生涯
[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)
人物伝を読むのが好きだ。それが無名人でも有名人でも構わない。ただし、条件がある。職業柄か、インタビュアーもしくは書き手の立場で読んでしまう癖があるので、そこには「知らなかったエピソード」、つまり“トリビア”がたくさん詰まっていてほしいのだ。
だから、私にとってよい人物伝は、歴史の資料や綿密な履歴書のように何でもかんでもその人物の過去が書き連ねられただけのものではない。本人や周囲の人間から上手に聞き出した意外な一面や知られざる事実を、上手に料理したものに限る。当然、無名の偉人伝なら知らないことがたくさんあるのでハードルは低くなるが、小林カツ代ほどお茶の間の多くの人に知られた有名人では、そう簡単にこの条件はクリアできない。みんなが知っている「底抜けに元気で明るいお母さん」というイメージ以外のエピソードなんて出てくるんだろうか……。そんなことを考えながら読み始めた。
冒頭で紹介されるのは、カツ代が人気番組「料理の鉄人」に出場し、中華の鉄人・陳建一を破った“伝説の闘い”の裏話だ。プロの料理人である「鉄人」と、家庭料理の達人の対決ということで当時も大きく注目されたことは私も記憶している。本書には、この日の出演前に番組スタッフとカツ代が激しく揉めたことをはじめ、みりんを入れるべき場面で間違って胡麻油を入れてしまったこと、最新式のキッチン用品を使えないほど機械オンチにもかかわらず出演したことなどが次々と書かれており、まさに希望通りの“トリビア”の連続だ。一気に引き込まれてしまった。
意外性という点でいえば、カツ代の初めての家庭料理のエピソードだろう。短大を卒業してすぐに結婚したカツ代は、夫婦生活を始めた初日に台所に立ち、夫のためにわかめの味噌汁を作る。それは水に味噌を入れて、塩わかめを適当に切って放り込んだ代物で、おいしいはずもない。カツ代は料理上手な母に電話して味噌汁の作り方を教わり、翌日にリベンジ。見違える味の味噌汁ができたという。これが家庭料理研究家としてのカツ代のスタートになったというのだから、人生はわからない。こうした意外なエピソードの数々を通して、著者はカツ代のもうひとつの側面、繊細で神経質で子供っぽい一面を描いていく。
小林カツ代には「お金を払って食べるプロの料理は、最初の一口目から飛び切りおいしくなくてはならない。一方、家庭料理は家族全員で食事を終えたとき、ああ、おいしかった、今度はいつ食べられるかなって思ってもらう必要がある」との持論がある。本人がまだ生きていたら、最初の章からトリビアが連続する本書を読んで“プロの料理”と評したかもしれない。