『天野貞祐』 貝塚茂樹著

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天野貞祐

『天野貞祐』

著者
貝塚 茂樹 [著]
出版社
ミネルヴァ書房
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784623080304
発売日
2017/04/10
価格
4,320円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『天野貞祐』 貝塚茂樹著

[レビュアー] 納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

教育と「道理」の哲学者

 天野貞祐(あまのていゆう)の名を知る世代は少ないかもしれない。戦前の京大文学部哲学科教授で、旧制一高の校長を務め、吉田茂首相に請われて文部大臣となった人物である。カントの主著『純粋理性批判』を初めて日本語に訳した哲学者としても知られている。だが、それにしては影が薄い、と感じられるかもしれない。本人もそう自覚していた。

 京大では西田幾多郎(きたろう)、田辺元(はじめ)ら「京都学派」の全盛期にいながらその一員には数えられず、戦前に公刊した『道理の感覚』は軍事教練を批判した記述のために自発的絶版に追い込まれる。戦後に教育者の使命に燃えて校長となった一高は廃止され東大教養学部に併合されてしまう。文相としては「修身科」復活問題で批判に晒(さら)され、初代学長となった独協大学では学園紛争の嵐の中で辞任する。まさに「徹底的惨敗者」の人生と言ってもよい。だが、この本格評伝を読むと暗い気持ちになるどころか、救われた印象さえ受ける。一貫した信念と教育にうちこむ哲学、そして常に前を見つづける生き方が、最終的に報われたことを感じさせてくれる。

 確かに目立ちはしないが、信頼される人柄であった。内村鑑三、九鬼周造、岩下壮一、岩波茂雄、西田幾多郎、吉田茂、羽仁(はに)もと子ら、先輩や友人に恵まれる。その歩みは大正教養主義から戦後民主主義までの日本の軌跡を見せてくれる。敗戦で困難な時代に高等教育の将来に心を砕き、教育者として大臣として身を粉にした「道理」の哲学者の生き様に、教育よりも経済を優先させがちな今日の社会が猛省される。

 文相時に道徳の教育を提唱して物議を醸した一件は、「道徳」の教科化や「公共」科目新設に向かう現在の状況にも示唆を与える。理念ある教育はどう可能になるか。教育者になりたいのなら哲学を学べ、という一高教師岩元禎(てい)の言葉が若き天野の一生を決めた。大切なのは、人であり、人との出会いであった。

 ◇かいづか・しげき=1963年生まれ。武蔵野大教授、放送大客員教授。著書に『戦後教育改革と道徳教育問題』など。

 ミネルヴァ書房 4000円

読売新聞
2017年5月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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