いきものがかり・水野が語るTMR西川貴教の深イイ言葉

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読めば自分を変えられる、誠実で優しい「説教」

[レビュアー] 水野良樹(ミュージシャン)

読めば自分を変えられる、誠実で優しい「説教」

 遠い世界にいる人であろうと思っていた。

 今から約11年前の春。当時放送されていた音楽番組「ポップジャム」の収録。デビュー直前の新人だった僕ら「いきものがかり」にとって、それは初めて経験する全国放送のテレビ番組出演だった。会場のNHKホールは巨大で、舞台を囲むように設置された何台ものカメラは冷たい威圧感をまとっていた。リハーサルを終え、舞台袖の長い廊下をとぼとぼと歩いていると向こうから俗に言うオーラなるものを存分に放ってやってくるひとがいた。それはテレビの中のひとだった。

「あ、T.M.Revolutionの西川貴教だ……」

 もちろん声には出していない。声には出していないが表情には出してしまっていたかもしれない。数々のヒット曲は当然ながら知っている。プロの芸人たちが舌を巻くほどに巧みで陽気なMCも、何度もテレビで見てきた。「本物だ」と口を開け、敬称をつけずにその名前を呟く。まだ無邪気だった。目の前にスターがいる。シンプルにそう思ってしまった。

 当時西川さんは番組の司会を務めていた。突然現れた大先輩の姿に驚くばかりで、すれ違う背中に僕らはろくに挨拶もできなかった。そんな様子に気がついたのか、隣にいたスタッフが言う。「西川くんは君たちと同じレコード会社所属の先輩だよ。もう彼もデビュー10周年。君たちも頑張って、いつかそうなれたらいいね」。とても遠い背中に思えた。

 あれから月日が経った。僕らはそのデビュー10周年を越え、西川さんはデビュー20周年を越えた。先輩の背中は変わらず遠いままで、眩しいままだ。だが、あの頃よりはその眩しさについて、少しだけ深く推察できるようになったとは思う。

 本書は、元来は人見知りで天才ではなかったと言う西川さんが、いったいどんな考えや行動を通じて20年以上の長きに渡り第一線のアーティストとして、その成長を続けてきたのか、読者にも自分の日常に照らし合わせて実践できると思わせてくれるような易しい語り口でひもといていくエッセイだ。

 11年前の僕らがたじろいだような西川さんのスターとしての明るさやエンターテイナーとしての輝きは、そのまま彼のオフィシャルイメージとして世間でも十分に認知されているだろうが、それは限られた人間だけが持つ天賦の才能に由来するものでは必ずしもなかった。大小様々な失敗や挫折を繰り返しながら、彼が自分自身の在り方を丹念に更新し続けてきた結果としてあくまで培われたものだった。つまりそれは読みとく僕らにも再現可能なものとして綴られている。

 つくづく誠実で優しいひとだなと思う。読んでみて、西川さんが時折かけてくれたいくつかの言葉の真意を再び噛みしめたからだ。

 以前、西川さん主催の祝い事のパーティーに呼ばれたことがある。200人ほどの出席者。名のある諸先輩方も多くいて、会場についた自分は身の置き場がないなと不安になっていた。自分の座席を探すと、前方の中央テーブルを指定された。え、と驚いたところで目の前に西川さんが座る。まさかのメインテーブルだった。

「なんで僕なんかがここなんですか」と訊くと「お前、見るからに人見知りだろ。俺の前に座れば話さざるをえないからな。逃げるな。ちゃんと人と話しなさい」。冗談めかしての言葉だったが、気遣いが優しかった。後輩の性格を慮ってくれたのだとその時も感じたが、本書を読むまで気づけていない部分があった。

 それは西川さんもまた、もともとは周囲とのコミュニケーションが上手だったわけではなく、それを自分なりにアクションを起こすことによって乗り越えてきたひとであったという事実だ。かつての自分のように社交に背を向けようとした後輩を励まそうと彼は思ってくれたのだろう。そんなことがあったからなのか、極めて個人的な感想ではあるが、本書はまるで先輩の優しい「説教」のように自分には感じられた。

 そして一方で、同じように仕事や周囲とのコミュニケーションに弱腰になってしまう多くの人たちに、ヒントや勇気を与えるものでもあると強く思った。彼のような明るさは自分には無いと思うひとほど本書を手にとってほしい。西川貴教はもともとはあなたと同じところにいたひとだからだ。彼はあなたのいた場所から歩みを進めていった。「自分にもできるかもしれない」、そう思わせてくれる頼もしい背中がこの本のなかにはきっとある。

新潮社 波
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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